「盃の底を捨つる事は、いかが心得たる」
とある人の尋ねさせ給ひしに、
「凝当(ぎやうたう)と申し侍るは、底に凝りたるを捨つるにや候ふらん」
と申し侍りしかば、
「さにあらず。
魚道なり。
流れを残して、口のつきたる所をすすぐなり」
とぞおほせられし。
「飲み終えた盃の底に残った酒を捨てる事は、どのような理由だと考えておりますかな」
とある人が尋ねなさいましたので、
「それを凝当(ぎやうたう)と申しますのは、底に凝り溜まった酒を捨てるのでございましょう」
と申しあげたところ、
「そうではない。
あれは、凝当ではなく魚道なのだ。
流れを残して、自分の口をつけた所をすすぐのだ」
とおっしゃられました。
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昔の人は、同じ盃を相手に回して飲んだらしい。
「御返杯!」
などといって、昭和の映画などを見ると、会社の宴会などでもやっていたらしいが、今はどうなのかしら。
さて、そのとき、底に残った酒をさっと捨てるのだが、どうやらその残った酒を「ぎやうとう」とか「ぎよどう」とかいったらしい。
ちなみに、西洋でも、かつて酒は同じ器で回し飲みされた。
特に王侯同士の場合はそうであったそうな。
主人と同じ器で飲む事で、そこに毒が盛られていない証しとしたのだ、と西洋文化史の木村尚三郎氏がテレビで講義しておられたのを大昔聞いたことがある。
ちなみに、兼好の死後数年のことであるが、足利尊氏の弟・直義(ただよし)は兄の一味に毒を盛られて死んでいる。