門(もん)に額かくるを、
「打つ」
といふはよからぬにや。
勘解由小路(かげのこうぢ)二品禅門(にほんぜんもん)は、
「額かくる」
とのたまひき。
「見物の桟敷打つ」
もよからぬにや。
「平張(ひらばり)打つ」
などは、常の事なり。
「桟敷かまふる」
などいふべし。
「護摩たく」
といふもわろし。
「修(しゆ)する」
「護摩する」
などいふなる。
「行法(ぎやうぼふ)も法の字清(す)みていふ、わろし」
にごりていふ」
と、清閑寺(せいかんじ)僧正おほせられき。
常にいふ事に、かかることのみ多し。
門に額を懸けるのを
「額を打つ」
と言うのはよくないのだろうか。
勘解由小路(かげのこうぢ)の二品禅門(にほんぜんもん)は、
「額をかける」
とおっしゃられました。
祭見物の桟敷を作るのを
「見物の桟敷を打つ」
というのもよくないのだろうか。
そこに雨よけ日よけとして幕を張ることを
「平張(ひらばり)を打つ」
などと言うのは、普通の事である。
けれども、これも
「桟敷をかまふる」
などと言うべきなのだ。
「護摩をたく」
と言うのもよろしくない。
「修(しゅ)する」
「護摩する」
などと言うようである。
「行法という言葉も、《ぎょうほう》と法の字を濁らずに言うのはよくない」
《ぎょうぼう》と濁って言うものだ」
と、清閑寺(せいかんじ)の僧正がおっしゃられた。
ふだん口にする言葉に、このようなことが多い。
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平家物語の巻第一に「額打論(がくうちろん)」という章がある。
二条帝が崩御のあと、興福寺と延暦寺のどちらが、その墓所の額を「打つ」かで、両寺の奏兵どもが力づくでおおいなる諍いをやったという話である。
言うまでもなく、平家物語の成立は徒然草の時代より前である。
だから、兼好もまた、額は「打つ」もの、と思っていたのであろう。
ところが、勘解由小路の二品禅門(この人は藤原行成の子孫にあたるひとだそうな)が、「額かくる」と言ったので、
「打つ」といふはよからぬにや。
(打つというのはよくないのであろうか)
と思ったというのである。
ここ数段の章を見ていくと、兼好が、世間で言われている言葉の正誤を正す論拠とするのは、皆「やんごとなき」人の言葉である。
それを言った人の学識ではなく、家柄がその基準になっている。
むろん、テレビ・ラジオのない時代、言葉はその家々に代々受け継がれる率が今よりはるかに高いので、家柄高き家に古い言葉がそのまま残る確率は高いにちがいないのだが・・・。
ところで、音の「濁り」と言えば、ひと月ほど前、新聞のなにかのコラムで「舌鼓を打つ」について、
「したつづみ」が正しくて「したづつみ」は正しくないのだ
ということがあたり前のように書かれていて、私は
「ふん、またかよ。
何を寝言を言っているんだい!」
と舌打ちしたのである。
これはもう、何年も前から、そんなことを誰かが言いだし、それをかじり読んだやつらも、そうだそうだと、エラそうに言うもんだから、なにやらそういうことになっているが、私に言わせれば、そんなことを言うのは、自分の頭でものを考えたことのないアホウである。
こんな言葉は、むろん子どもが使うものではないから、私がこの言葉を「したづつみを打つ」と覚えたのは、当時、大人たちがそう言っていたからである。
私が当時ラジオで聞いていた「話の泉」とか「とんち教室」なんてのに出てくる徳川夢聲とか太田黒元雄いった錚錚たる「文化人」もそう言っていたにちがいないのである。
そもそも、日本語には、連語になると、元の言葉の頭の音が濁る、という不思議な性質がある。
垣は「かき」であるが、石垣となると「いしがき」である。
本は「ほん」だが、文庫本は「ぶんこぼん」である。
白は「しろ」だが、色白は「いろじろ」。
包は「つつみ」だが、小包は「こづつみ」。
そして、川は「かわ」だが、北川司氏はむろん「きたがわつかさ」氏である。
したがって、鼓は「つづみ」だが、舌鼓は「したづつみ」となるのが正しい日本語である。
ただ、「つづみ」はもともと二音めに濁りがあるので、なにやらひっくり返ったように思えるだけなのである。
(もっとも、能の小鼓は「こつづみ」だし、大鼓は「おおつづみ」というのですが。)
頭にあった澄んでいた音が、語の後ろに来ると濁るのは、なにも日本語だけの性質ではない。
お隣の韓国語は、そもそも、「k・t・p・s」音を表す語は、語頭では澄むが、語の後ろに来ればそれぞれに「g・d・b・z」と濁る音になることはハングルをならう人の初歩である。
というわけで、やっぱり「おもんpaかる」は「おもんbaかる」だよなあ、と未練がましくいまだにそう思うわたくしなのであります。
ちなみに、私がときおり「あたかも」を「あだかも」と濁って書いてしまうのは、漢文学者の吉川幸次郎氏が、その著述で、いつもそう書いていたからでございます。
・・・・とまあ、兼好同様、今回もまた私、毒にも薬にもならぬ、どうでもいいことを書き連ねてしまったなあ。