花のさかりは、冬至より百五十日とも、時正(じしやう)の後、七日ともいへど、立春より七十五日、おほやうは違はず。

 

桜の花の盛りは、冬至から百五十日後とも、昼夜の長さが同じ「時正」の日から七日ともいうけれど、立春から七十五日で、だいたい当たっている。

 

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なんだか、よくわからん話である。

冬至はもうすぐやってくるが、まあ、毎年、十二月のニ十二日ごろである。
それから150日と言えば、五カ月後、五月の二十日ごろになる。
なんで、これが、桜の花の盛りなのか、よくわからん。

で、「時正」というのは、春分後の二日目を指すらしいのであるが、これの一週間後と言えば、四月のはじめ。
まあ、関東は花見の季節であるから、これはわかる。

そして、最後の、立春はと言えば、節分の豆まきの次の日だから、二月の四日。
これの七十五日後と言えば、二か月半後だから、四月の二十日過ぎだ。
ということは、桜はすでに葉桜ではないか。

こんなばらばらの日にちを上げて

おほやうは違はず!

とイバられても、この人、いったい何を言うておるのやら、と、思わずその算術能力に疑問を投げかけたくなる。

これは、いわゆる「桜前線」の列島北上を先取りしたものなのであろうか。

それにしたって、人のうわさも消えてしまう、と言われている七十五日も前から、桜の花の盛りを予想するなんてのはばかげているし、ましてや百五十日なんてのは常軌を逸している。

などと言っていられるのは、私が現代の太陽暦を使って生きているからで、当時の暦は陰暦である。
今のように、毎年、同じ日付のころに冬至が来て、立春が訪れ、春分の日がやって来るわけではない。
「四月の入学式のときは桜の花が満開ね!」
てなわけにはいかないのである。

なにしろ、陰暦のおそろしさといえば、わが国の勅撰和歌集のはじまり、「古今和歌集」が

年のうちに春は来にけり
ひととせを去年(こぞ)とやいはむ 今年とやいはむ

(いやはや、まだ十二月のうちに、立春がやってきてしまったぞ。
これから大晦日までの日、その年のできごとを、去年と言えばいいのだろうか、今年といえばいいのだろうか)

などという歌が、巻頭、第一首目を飾っておるくらいでありますからなあ。
というわけで、桜の開花も太陽暦に合わせて考えようとして、こんな日数計算も出てくるんでしょうな。

ちなみに「暦(こよみ)」という言葉は「日読み(かよみ)」から来ておる言葉と言われております。

しかし、それはそれとして、この兼好氏の「日読み」は、あまりにも計算が出鱈目過ぎやしないかい?