「何事の式といふ事は、後嵯峨の御代までは言はざりけるを、近きほどよりいふ詞(ことば)なり」
と、人の申し侍りしに、建礼門院の右京大夫、後鳥羽院の御位ののち、また内裏(うち)住みしたる事をいふに、
「世のしきも変りたる事はなきにも」
と書きたり。
「何かのやり方を、何々の《式》という言い方は、後嵯峨天皇の御代(1200年代の半ばすぎ)までは言わなかったのを、このごろになって言われはじめた言葉である」
と、ある人が申しておりましたが、平清盛の娘である建礼門院にお仕えしていた右京大夫が後鳥羽院が即位されたあと、また内裏に出仕した事を書いたところに、
「世の《しき》も変りたる事はなきにも」
と書いておりますぞ。
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たぶん、流れからして
「何事の式といふ事は、後嵯峨の御代までは言はざりけるを、近きほどよりいふ詞なり」
と言った人というのは、前段で言うところの
《おとなしく、もどきにべくもあらぬ人》
だったんでしょうな。
で、兼好はその言葉を聞きながら、心の中で、けっ、と思いながら
「さもあらず」
とつぶやいていたんでしょう。
で、どうやらそれを書きつけたらしい。
でもね、頭注を見ると、「建礼門院右京大夫集」には
「世のけしきも、変わりたる事なきに」
とあって、「世のしきも」とは書いてないらしい。
うーん。
兼好さんも
《すずろに書き散らし過ぎて、おのづから誤りもありぬべし》
を自らやってしまったようですな。
ははは、でございますな。