老いたる者をして静謐(せいひつ)の裡(うち)にあらしめよ
そは彼等こころゆくまで悔いんがためなり

 

 

― 中原中也 「老いたる者をして」 ―

 

 

夏休み、である。
子どもたちは朝8時にやって来る。
しかるに、今朝のごはんの炊きあがりは7時45分であった。
時間がない。
しかし、まあ、こんなとき、速攻で飯をかきこむのに日本には最良のレシピがある。

《卵かけご飯》。

これである。

わたくし、ほかほかの湯気をたてるご飯を盛った茶わんと醤油をテーブルに置いたあと、冷蔵庫から卵をとりだし、
(そうそう、殻をすぐ捨てられるように!)
と、もう片一方の手にゴミ箱を持ってきてテーブルのかたわらにセットした。
そうやって、腰を下ろし、コツコツとテーブルに卵を打ちつけ、卵を割った。

・・・・

呆然とした。

もちろん、私の両方の手それぞれには割った卵の殻がある。
しかるに、中身は・・・・。

 

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何が起きたのか、しばらく、私、自分の目が伝える事態の意味がわからなかった。
なにしろ、テーブル脇のゴミ箱のまん中に割られた卵の中身があるのである。
そして目をテーブルに戻せば、茶碗の中の白飯はなにごともなかったように――もちろん彼らにはこの間何事も起きなかったんだが――おだやかに湯気を立ちのぼらせている。

私、どうやら、わざわざ、ゴミ箱の中に卵を割り落としたらしい。

うーん。

《経年劣化》は何も日本国ばかりに起きているわけではないのである。

今日のことわざ: 覆水盆に返らず