人生山あり、海ありですよねえー
― 都はるみ / 長嶋茂雄 「折々のことば」(鷲田清一) ―
今朝、新聞の一面の下に目をやったとき、思わず顔がゆるんでしまった。
人生山あり、谷あり
ではなくて、「山あり」に対して「海あり」なんて言うのは、
「いかにも長嶋だなあ」
と思ってしまったからだ。
なんでも、これはラジオでの二人の対談での言葉らしい。
都はるみさんの方はこの発言に
唸るように共振した
のだそうだ。
なるほど!
それにしても、なんというすばらしい言葉だろう。
こんな言葉、長嶋氏以外、なかなか言えないよなあ。
すごいなあ!
鷲田氏はこれについて
「谷」に突き落とす重力ではなく、体を押し上げる「海」の浮力にうまく乗るお二人の常に向日的な思考がまぶしい。
と書いておられる。
なるほど「浮力」ですか、とも思ったが、この言葉を見たとき、私の頬をゆるませたものはけっしてそうではなかったように思う。
その言葉の意外性への心地よい驚きとともに私が感じたものは、遠くの山と広がる海が見えるあけはなたられた大地に自分が立っているような爽快さだったような気がする。
「谷」と「海」、その差は、「重力」「浮力」よりも、むしろ、その視線の遠さ、あるいはその視野の広さではないのだろうか。
そう、人生、山あり、海あり。
人生めげそうな時、視線を遠く、視野を広くすることこそが、彼らの「向日的思考」の根底にあるのではないだろうか。
よい言葉を読んだと思った。
追伸:
日曜日には、つかまり立ちを始めた赤ん坊のようであったわたくしも、どうやら自分の足で「歩行」することができるようになりました。
あと一息でございます。
ご心配おかけしました。