こはいかに、かくては立ち給へるぞ。
あさましきことかな。
物の憑き給へるか。

 

(これはどうしたことだ、どうしてそんなふうににやにや笑ってで立っておられるのか。
呆れかえったことだ。
あなたは、あやしい 《もののけ》 にでも取り憑かれたのですか)

 

 

ー 「宇治拾遺物語」 ―

 

神宮外苑のイベント会場で幼稚園児が焼け死に、その父親と、助けに飛びこんだ男性が大やけどしたという事故があったそうだ。
今朝の新聞で読んだ。

今日の昼NHKのニュースを見ていたら、その時の写真が出てきた。
私はびっくりした。

目の前に構造物が炎を上げて燃えている写真だ。
しかし、私が驚いたのはそのことではない。
その写真の前景に立ち並んだ男女たちが皆スマホでそれを写しているのが写っていたことだ。

彼ら彼女たちは、泣き叫ぶ子どもの声や父親の必死の声が聞こえなかったのであろうか。

宇治拾遺に有名な絵仏師良秀の話が載っている。
彼は、

(自分の家の)向ひに立ちて、家の焼くるを見て、うち頷きて、時々笑ひけり。

だったという。
彼はその火事で、長年描いていた火炎が、どうしようもない代物で、火というものがこんなふうに燃えるのかと初めてわかった、と言ってほくそ笑んでいたのである。

あはれ、しつるせうとくかな。
(いやはや、えらいもうけものをしたものだ!)

彼は独りこうつぶやいていたと、宇治拾遺の作者は書いている。

目の前で、構造物が燃え、中に幼子が焼け死のうとしているとき、そこにいた男女たちは、物に取り憑かれていたのであろうか。
それを撮って発信できることを
「ラッキー!」
とでも思ったのであろうか。

わからない。
わからないが、現代はたくさんの絵仏師良秀を生みだしているらしい。

この宇治拾遺の話を翻案した小説を書いた芥川龍之介は、その題名をたしか「地獄変」としたはずだが。