これは、古典があんまり得意じゃない高校二年生のジュリ君のために、せめて百人一首でも覚えなさい、そうすれば、古典もできるようになるからと、ヒマに任せて私が書いて渡したものを、そのまま写したものです。
よろしければお読みください。
秋の田の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ
わが衣手は 露にぬれつつ
天智天皇
天智天皇というのは、かの有名な大化の改新で、蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子のことです。
この人、あんなに頑張って政敵をたおしたのに、いろいろ事情があったらしく、天皇になったのは、改新から20年くらいたってからです。
もっとも、この「大化の改新」というのは中学校までの言い方で、このごろの高校の日本史では《乙巳(いっし)の変》という名で覚えなければならないらしいので、気をつけなさい。
その天智天皇が死んだあと、その皇位の継承をめぐって、息子の大友皇子(おおとものみこ)と弟の大海人皇子(おおあまのみこ)の間で戦いが起きました(壬申の乱)。
その結果、弟の大海人皇子が勝って、天皇(天武天皇)になった。
だから、奈良時代の終わりまで、天武の子孫が天皇になるんですが、そのうちその血統が絶えてしまって(その詳しい事情は日本史で習います)、再び天皇は天智系に移ります。
それが、平安京に都を移した桓武天皇のお父さんに当たる光仁(こうにん)という天皇で、それ以降、天智系の天皇が代々続いて今日に至っているわけです。
となると、平安京に住んでいた貴族にとっては、天智天皇というのは、とりわけ尊ぶべき上代の帝、ということになっていたわけで、百人一首を編んだ藤原定家も、とりあえず、その第一首目はこの人にしようと思ったわけでしょう。
さて、歌になりますが、 「かりほ」は「刈穂」と「仮庵・仮蘆」の両方が掛っておるんでしょうな。
「刈穂」の方はもちろん「刈り取った稲の穂」のことですし、「仮庵・仮蘆」は「間に合わせに作った小屋」ですな。
というわけで、「秋の田のかりほの庵」は「秋の田んぼの刈り穂を入れる仮小屋」ってことです。
でもまあ、そんなことより「かりほのいほ」という言葉の続きが気持ちいい、と思っていればいい。
こういう音の響きというものも「歌」の大切な要素です。
「苫(とま)」というのは、
《スゲやカヤなどの草を編んで作った小屋の屋根や周囲を囲うもの》
です。
百人一首を編んだ藤原定家には
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮
という歌もあります。
いくらあなただって、、目をつぶって2・3回口の中で唱えてみれば、歌の情景は思い浮かぶでしょ?
「苫」といえば、私たちが小学校の頃歌った歌に「われは海の子」というのがありました。
で、その一番の歌詞は
われは海の子 白波の
さわぐ磯辺の 松原に
煙たなびく とまやこそ
我が懐かしき 住みかなれ
というものでしたが、私の友人のM氏はここに出てくる「とまや」というのは「富山」のことであろうと思って歌っていたそうです。
なにしろ、石川県のとなりが「富山」ですからね、自分の知っている単語に置き変えたくなる気持ちはわかります。
だからと言って、それによって、全体の意味がわかる、というわけではない。
まあ、どっちしても、意味もわからず歌っていたことは、私だって変わりません。
おまけに、もう一つ書いておけば、昔、私が所属していた高校の水泳部の部室は、この「苫」で出来ておりました。
私ら部員たちは、皆、そんなスカスカの、外部から丸見えのところで水着に着替えておりました。
さて次の言葉「あらみ」ですが、これは文法的に重要かもしれません。
特に「み」が。
これは、形容詞の語幹に着く接尾語で(接続助詞という説もある) 「・・・のゆえに」「・・・なので」という意味を表します。
ですから、「苫をあらみ」は「苫が粗いので」ということになります。
百人一首には、このほかに〈瀬をはやみ〉とか〈風をいたみ〉などというのが出てきます。
「衣手」とは袖のことです。
「露に濡れつつ」の「つつ」は基本的に「同じ動作の反復」を表す接続助詞です。
あとは「異なる動作の同時に進行」という現代語まで受け継がれた意味もありますが、とりあえず〈つつ〉ときたら、《同じ動作の反復》と頭に入れておいてください。
ですから、「露に濡れつつ」は、「露があとからあとから袖を濡らすよ」ってことです。
というわけで、この歌を、現代語短歌にしてみれば
秋の田の 刈り穂を入れる 仮小屋は
すきまだらけで 袖はびしょびしょ
まあ、天皇が農作業をしたわけではないんでしょうが(そもそもこれが天智の歌だというのは伝承です)、天智天皇は、それを行うくらい〈理想的な天皇〉だった、てことに、平安時代はなっていたんですな、きっと。