あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の

 

      ながながし夜を ひとりかも寝む

  

              柿本人麿

 

 

柿本人麿。
万葉集では《人麻呂》と書かれています。
百人一首では3番目に登場ですが、まあ、万葉集の4番バッターです。
〈歌聖〉なんて呼ばれている。
「歌の神様」ということです。
天武・持統のころの宮廷詩人です。

でも、この歌、本当に人麻呂さんの歌かというと、確証はない。
ないけど、「いい歌だから、人麿作、ってことにしちゃえ」ってことに、平安時代にはなったらしい。
たぶん、この歌、平安時代の人たちの好みに合っていたんでしょう。

 

さて、歌の内容ですが、これは、何度か話したことがあるので、あくまで、確認、ということで読んでください。

 

《あしひきの》は「山」にかかる枕詞
枕詞」というのは、次の言葉をおのずと引き出す五音の語、のことでしたね。
《たらちねの》「母」とか、《ちはやぶる》「神」とか。
《しらたまの》は「ジュリ」にではなくて、こいつは「涙」にかかるんですな。
「真珠の涙」ってやつです。

 

《山鳥》は雉(キジ)のいとこみたいな大きな鳥ですが、雉より地味な羽色。
尾が長い。
その上、夜になると雌雄が峰を隔てて寝る、という言い伝えまである。
(これは、この歌にとって結構大事な伏線かもしれない)。

《しだり尾》の《しだり》というのは、「垂れ下っている」という意味です。
今でも「しだれ桜」、とか「しだれ柳」というのがありますが、それは、枝が垂れている桜や柳のことを指すんです。
ですから、《山鳥の尾》というのも長く垂れさがっているんです。

・・・とここまでの《あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の》という17音は、ただただ、次に来る「ながながし」という言葉を引き出すためだけにある言葉です。
こういうのを「序詞」と言います。
序詞」は、枕詞と同じく、次の言葉をおのずと引き出すための言葉なんですが、それが五音以上のものを指します。

あなたが以前習った、伊勢物語に出てきた

みちのくの しのぶもじずり たれゆえに

          乱れそめにし われならなくに

 

という歌では「みちのくの しのぶもじずり」が「乱れ」を引き出す序詞でした。

というわけで、「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の」にも、基本的に意味がない。
ということは、歌の意味は、要するに、後半の「ながながし夜を ひとりかも寝む」にだけあります。

「ながながし夜」は言うまでもなく「ながーい、ながい夜」です。

「ひとりかも寝む」。
かも〉は、疑問の意味をあらわす係助詞「」に詠嘆の意味を表す終助詞「」がくっついたもので、「・・・だろうか」って意味になります。
「か」が係助詞ですから、語末の推量の助動詞「む」は終止形じゃなくて連体形ですね。

で、「ひとりかも寝む」は「独りで寝るのか」ということになります。

というわけで歌の意味だけ書けば
 私は、こんなにも長い長い夜を、独りで寝るのか!
ということだけです。

となると、このことを言うためにだけにある
あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の
って、いったいどんな意味があるの!と言いたくなる。
「意味ないじゃん!!」
と言いたくなる。
「意味がないのにこんなに長いってどういうこと!」

怒るのも無理はない。
でもね、この「意味のない長さ」というのは、ほんとに、この序詞だけなんでしょうかねえ。
彼氏(あるいは彼女)がそばにいないまま、たった独りで過ごしている、この夜の長さこそが、実は《意味のない長さ》そのものではないんでしょうか。
・・・ってことを、このながーい序詞は言外に言っている――わけではないだろうけどけど、でも、なんか、そんな気もするでしょ。

それはともかく、この序詞の一句ごとに繰り返される「の」「の」「の」の音が、眠れぬまま無意味に深まりいく秋の夜の時間を実にうまく表している(ように私は思う)。

 

そうそう、これが「秋」の歌だ、という理由はお話ししましたよね。

そもそも「夜長(よなが)」というのは秋の季語ですし、それに、なにしろ夏は暑いから、いくら好きな人とでも、なるべくなら、離れて眠りたいもんです。

肌寒くなって人恋しさがつのるんです。

 

まあ、あなたの大好きだというドラマで言うと、ハグもできぬまま、それぞれに悶々と布団の中で眠れず過ごしている主人公たちもまた  ながながし夜を ひとりかも寝むという思いだったのでしょう。

どうです、名歌でしょ?

 

あしひきの 山鳥みたいに 長い夜を

      ハグもできずに ひとり寝るのね