田子の浦に うち出でて見れば 白妙の

                         富士の高嶺に 雪はふりつつ

                                        山部赤人

 

山部赤人も〈歌聖〉と言われています。
一つ前の人麿と赤人、古今集の《仮名序》の中で、紀貫之が

人麿は赤人の上に立たむこと難く、赤人は人麿が下に立たむこと難くなむありける。

と書いておりますから、どうやら、赤人の方が上、と言ってるみたいですが、要は、
「こいつら、二人とも凄いぜ」
というておるわけです。
野球で言ったら(と言ってもあなたには通じないが)、昔の巨人の王と長嶋の「ONコンビ」みたいなもんです。
人麿・赤人伝説の巨匠二人。
打順もちゃんと3番・4番。
あるべき場所にちゃんといます。

 

百人一首というのは、なんとなく二首づつペアになるように歌を並べて組んである。
まず、天智・持統の「父娘ペア」から始まって、次は「伝説の巨匠ペア」です。
まず理想の天皇たる二人が、男は農事、女は織物をそれぞれ歌った後で、巨匠二人は「山」を歌います。
人麻呂の方は、なんだか、ぱっとしない独り寝の夜を歌うために「山」を出してきたのですが、赤人の方は、威風堂々、「山の中の山」とも言うべき富士山。

 

歌の方はちっとむずかしくはない。
文法も何も要らない。
「ふーん」と言って、読めばそれでわかる。

でもまあ、一応書いておきます。

 

この歌も、万葉集に元の歌があって、それをあなたは中学の時に習った。

 

田子の浦ゆ うちいでて見れば 真白にぞ 不尽の高嶺に 雪はふりける

 

どうです、定家が選んだ百人一首のの歌は、元の歌と変わってますね。
変わってます。
変わってないのは、二句目だけ。
あとは微妙に変えてある。

「そんな巨匠の歌、なんで、変えるのよ!ぷんぷん」
と怒ってもしようがない。
だって、定家さん、変えちゃったんだもの。

あのね、平安時代の和歌というのは、《本歌取り》というのが、流行った――というか、《本歌取り》であることが、いわば和歌を作る基本技術だったんです。
昔の歌を踏まえて歌を作るというのが、作り手にも読み手にも常識だった。
そして、定家の生きた時代、つまり新古今集が編まれた平安末から鎌倉の初めともなると、平安四百年の歴史の中で、和歌の技法が究極に煮詰まって、なんだか、繊細過ぎる情感を繊細過ぎる技法で、触れば折れそうな、そんな歌が作られるようになってきた。
そんな細やかな、見えるともない情感をよしとする自分たちの感性から見て、昔の歌に、ちょっと野暮ったいな、古臭いな、というところがあると、「本歌」そのものも、自分の情感に合うものに変えちゃおう、と思うわけです。
今で言うなら、
「昔のこの歌、いいんだけど、リズムがちょっと古いよね」
なんていいながら新しい編曲に載せて歌っちゃう、といった感覚でしょう。
だから、許して。

 

さて、〈田子の浦に〉と〈田子の浦ゆ〉。
違いは「」と「」です。

」の方は、今とまったく同じ意味を持つ格助詞。
この場合「動作の帰着点」を示します。

一方「」の方はといえば、同じ格助詞なんですが「動作の経過する場所」を示します。
だから、意味は「…を通って」ということです。

というわけで、百人一首の方は「田子の浦に出て、見れば」。
一方の万葉集の方は「田子の浦を通って(見晴らしのよいところに)出て、見ると」ということになる。
うーん、だからどうだ、ということを私は言えませんが、定家は、気になったんでしょう。

でもね、「うち出でて見れば」って字余りでしょ。
この字余り、大事だと私は思うんです。
「田子の浦を通って」て、気分が出てる。
でも、「田子の浦に出て、見たら」じゃないような・・・。
まあ、あくまでも、私の意見、というこうことで。

次に〈白妙の〉の方は連体修飾語だから「真っ白な」。
一方〈真白にぞ〉の方は連用修飾語だから「真っ白に」。
後者が動的なのに対し、前者はあえて言うなら「絵画的」というべきかもしれません。

 

今度は〈雪はふりつつ〉と〈雪は降りける〉。
もとの歌の方の「雪は降りける」は
おお、あの高嶺には雪が降ったんだあ
と、富士山が真っ白に雪をいただいていることに素直に感動している。
一方「つつ」は天智天皇の歌のところで書きましたが、「動作の反復」です。
ですから、「雪が降り続いている」ということなんでしょうが、それが田子の浦(駿河湾に面しています)から見えるか、と言うと、見えるはずはない。

だから、ウソです。
ウソですが、きっと今も降っているに違いない、とその光景を思い浮かべている、といったところでしょうか。

 

田子の浦に ひょいと出て見りゃ 真っ白な

                                  富士の高嶺に 雪は降ってる