奥山に もみぢ踏みわけ 鳴く鹿の

       声聞くときぞ 秋はかなしき

 

                猿丸太夫

 

 

猿丸太夫。
〈太夫〉というのは、ひらがなで書くと「たいふ」。
「いふ」と古文で書いてあれば「ゆう」と発音しますから、読み方は「たゆう」。

もっとも、この場合は「さるまる・だゆう」と濁る。
森鴎外に『山椒大夫』という小説がありますが、これも「さんしょうだゆう」。

「太夫」は官位が五位以上の人を指します。

 

さて、この猿丸太夫、「三十六歌仙」という歌の上手な三十六人衆の一人に数えられているんだが、どんな人だかよくわかっていない。
というより、こんな人は、実在しなかった、という説が有力です。
「猿丸」とは「人麿」のことだ、という説を立てた人もいます。

 

で、思い出したんだけど、そして全然話は飛んでしまうんだけれど、奈良時代、称徳天皇という、女性の天皇がいました。
この人、東大寺を建て大仏を建てた聖武天皇の一人娘です。
この人、結婚しなかった。

ところで、お隣の韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は、昔、絶対的権力を持っていた朴正煕(パク・チョンヒ)という大統領の一人娘です。
そして、結婚していない。
こういう女の人、お父さんがエライすぎるので、周りからは大事にはされるかもしれない。
けれど、心から打ち解けて話せる人が持ちにくいのでしょう。
友達、と呼べる人が少ない。
だから、親身にやさしくしてくれる人に対して、普通の人よりも弱いのかもしれない。

というわけで、パク大統領の方は、なんとか、という女の人に頼ったというので、今、たいへんな騒ぎになっています。
一方、称徳天皇の方はというと、男の人が好きになった。
初めは、藤原仲麻呂というカッコいい年上男性。
あんまり好きだったから、その人の官位も上げてあげた。
それだけじゃ足りなくて、恵美押勝(えみ・おしかつ)って名前までつけてあげた。
「美しさに恵まれたとっても強い人」という意味でしょうね。
「八千草薫」とか「黒木瞳」とかいう、宝塚のスターの芸名みたいな感じですね。

でもね、彼女、その人のこと、だんだん嫌いになってきた。
だって、仲麻呂さん、太政大臣にしてあげたら、好き勝手なことをして、自分の言うことあんまり聞いてくれないんだもの。ぷんぷん。
そんなとき、彼女、病気なった。
重病。
私、このまま死んじゃうのかも、と思っていたら、でも、それを直してくれた人がいた。
お医者さんじゃありません。
道鏡という名前のお坊さんです。
その人、田舎者だけど、お経をあげるやら加持祈祷をしてくれるやら、必死に祈って直してくれた。
ステキ!
なんて頼りがいがある方なんでしょう!!

で、彼女、とんでもないこと思いついた。

「私、結婚もしてないから子どももいないし、このすてきな人に天皇の位を譲ってあげよう!」

周りはあせります。
そんな、どこの馬の骨ともわからぬ男が天皇になったりしたらたいへんだ、というわけです。
みんな大反対。
そこで、称徳天皇、
「それなら、あなたたちと、私とどっちが正しいか、神様の意見を聞いてみましょう」
というので、自分のそばに仕えていた尼の和気広虫(わけのひろむし)という人の弟、和気清麻呂(わけのきよまろ)という人を、大分県にある宇佐八幡宮という、皇室ゆかりの神社に送ったんです。
ところが、この清麻呂さん
「道鏡なんぞを天皇にしてはならぬ!」
という御神託を受け取って帰って来た。
彼女、怒りました。
怒って、和気清麻呂には別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)という名前をつけて、鹿児島の方に流しました。
お姉さんの広虫さんの方も、狭虫(さむし)という名前にして尼さんであることをやめさせてしまった。
というわけで、よほど、この天皇、名前にこだわりのあるお方だったようなのです。

・・・とまあ、関係のないことをいろいろ書いたのは、
「清麻呂⇒穢麻呂」
「広虫⇒狭虫」
という流れで行くと
「人麻呂⇒猿麻呂⇒猿丸」
という説もあながち無理とは言えないのではないのか、と思ったりしたわけです。
人麻呂は称徳天皇よりずっと前の人ではあるけれど、何かのことで人麻呂さんが天皇の逆鱗(げきりん)に触れてしまって、あんたはこれから「猿麻呂」という名前だ、ってことになったってこともあったのかもしれない。

 

というわけだかどうかはわからないけれど、平安時代の中期、万葉集や古今集の中にある「読み人知らず」となっている歌の中で、特にすてきな歌だと思われるものは、

こんなすてきな歌、ほんとは、あの歌の上手な人麿さんが作ったにちがいない!
でも、罪を得て、名前を出せなくなって、〈読み人しらず〉になっているんだ。
だったら、いっそ彼の別名である〈猿丸太夫〉が作ったんだってことにしてしまおう

ってんで、そんな歌を集めた「猿丸太夫集」なんてものまで作られてしまった。

というわけで、この歌も、ほんとは「古今集」では「読み人知らず」の歌になっています。
定家さんも、むろんこれが「読み人しらず」の歌だということは知っている。
でも、仮にも「百人一首」と銘打ったアンソロジーにに名無しの人を載せるわけにはいかないんで、猿丸伝説の方を採用したんでしょう。
この歌のことを定家は、そうまでしても、選びたい、いい歌だ、と思っていたということでしょう。

 

さて、歌の内容に移りましょう。
この歌もあんまりむずかしいことはない。

「奥山」はそのまま意味がわかるし、「もみぢ」も紅葉のことだとわかる。
でも、「もみぢ踏みわけ」となると、この「もみぢ」、高い木の枝にある紅葉のことではないみたいですね。
かといって、落ち葉になった紅葉では「踏みしめ」であって「踏みわけ」という感じではない。
というわけで、これはちょうど鹿の胸のあたりくらいまでの高さの萩(はぎ)くらいの低木の紅葉でしょうか。
それとも、人が散り積もった落ち葉を踏んでいるんでしょうか。

わかりません。
わかりませんが、でもまあ、この歌の眼目はそんな「もみぢ」の方じゃなくて「鹿の声」の方です。

雄鹿は秋になると、妻を求めて鳴くんだそうです。
どんな声なのか、私、聞いたことがないから、何とも言えないが、なにやら哀愁を帯びた声らしい。(たぶん高音の)

それが、秋の冷たく澄んだ空気の中、遠くの山から聞こえてくると、
「あゝ…」
と思うわけです。(とくに男は)
「あいつも、ひとりでさびしいんだろうなあ」
と思うわけです。
「ああ、俺といっしょじゃん」
季節は例の「人肌恋しい秋」ですから、なおさらです。

で、〈声聞くときぞ 秋はかなしき〉となるわけです。
(もちろん「ぞ」は係助詞ですから、結びの形容詞「かなし」は連体形の「かなしき」になっている。)

でも、この〈かなし〉という言葉が古文に出てきたとき、現代語の「悲しい」という文字に引きずられて、鑑賞してはダメですよ。

かなし〉は、基本的に、「自分ではどうしようもなほどせつない」という意味です。
そして、〈かなし〉が古文に出てきたとき、まず思うべきことは「愛し」という文字です。
これは、「どうしようもないほど、せつないくらいに、いとしく、かわいくてならぬ」という感じですね。
もう一つの「悲し・哀し」の方も、「なんとも切ない」という感じを押さえておく方がいい。

 

奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 

     声を聞くとき 秋ってせつない

 

これって、ほとんど、本歌と変わらないよね、って言わないで。
だって、現代風にしなくても、よくわかる歌ですもん。