天の原 ふりさけ見れば 春日なる

 

                      三笠の山に 出でし月かも

 

                      安倍仲麿

 

安倍仲麿は、日本史の教科書などでは阿部仲麻呂という名で出てきます。
遣唐留学生として、今のあなたと同じ十六歳のとき唐に渡り、かの国で、玄宗皇帝に仕える役人になりました。
(玄宗がどんな人であったか、むろん世界史を習ったあなたは知っていますよね。
その治世の前半は「開元の治」といわれる善政をしき、唐の絶頂期をもたらしたけれど、その後半は美女・楊貴妃におぼれて政治を怠り、終には安禄山の乱の果て、幽閉されて死んでいった皇帝でした)
仲麻呂は、長く唐にいたのですが五十歳になる頃、日本に帰国しようとしました。
この歌はその送別会の際に歌われたと言われています。
もっとも、彼の乗った船は、途中で難破しました。

そのニュースを聞いた、彼の友人だった李白は、彼が死んだと思って、それを悼む、涙まじりの漢詩を作っています。
でもさいわい彼は助かりました。
そして、彼は再び唐に戻り、結局死ぬまで故郷日本には帰れませんでした。
この歌は、そんな人の歌として、読んでください。

 

天の原」は「広々とした大空」ということです。
「ふりさけ見る」は「振り向いて遠くをのぞみ見る」ということです。
ですから「天の原 ふりさけ見れば」は「大きな空をふり仰いでみると」ということです。

 

「春日なる」の「春日」は奈良にある地名です。
鹿がいるあの公園のあたりです。

なる」は断定の助動詞〈なり〉の連体形です。
で、その断定の助動詞〈なり〉ですが、いつでも「…である」と訳せばいいものではありません。
この場合のように地名に続く〈なり〉は、「…にある。…にいる」という意味でつかまえなければならない。
要するに、断定の助動詞〈なり〉は、英語で言えばbe動詞みたいもんです。

ですから、「春日なる 三笠の山」というの「春日にある三笠山」ということになります。

 

「出でし月」はもちろん「出た月」です。
」は、過去の助動詞「き」の連体形ですね。

 

「月かも」の〈かも〉は、先に見た、人麿の「ひとりかも寝む」の〈かも〉とは違って、終助詞の〈かも〉
詠嘆・感動の意味を表します。
あえて言うなら「…であることよ!」ということですが、まあ、こんなへんてこな日本語に訳すこともない。
ともかく、ここに感動があるということさえ、読みとっておけばいい。

 

では、仲麻呂さんは、なんでこんなにも、のぼって来たお月さまに感動したのかしら?

 

夕暮れ、日が落ちて、ぽっかりまあるいお月さまがのぼって来る。
そのお月さまは、どこから昇って来るかというと、もちろん東からです。
さて、作者の仲麻呂さんが今どこにいるかというと、唐の国です。
その唐から見て、東の方に何があるかといえば、彼のふるさと日本です。
だから、今、彼が眺めているお月さまは、ふるさとの方角から昇って来ています。
そして、今彼の目に映る月は、まさしくふるさとの春日にある三笠の山にも、今さし昇ってきている、そのお月さまなのです。
彼には、のぼりくる月の向こうに、これから帰りゆくふるさとの、なだらかな山の風景がはっきり見えているのです。

この月は今、三笠の山の上にものぼってきているんだ!

これが「春日なる 三笠の山に 出でし月かも」の〈かも〉に込められた感動なのです。

でも、彼は、結局ふるさとに帰れなかった。
だから、彼は、月がのぼるたびに、この歌を思い出しては、望郷の思いを強めていたかもしれない。

そんな思いで読むと、定家が、この歌を、百人一首の中に絶対入れなきゃ、と思った気持ちもわかるでしょ?

 

大空を 仰いで見れば ふるさとの

 

                   三笠の山に 出た月がある