わが庵は 都のたつみ しかぞ住む
世をうぢ山と ひとはいふなり
喜撰法師
喜撰法師。
このひともどんな人かわからない。
というか、「六歌仙」(六人の歌の名手)にかぞえられてはいるものの、この人の歌った歌というのは、この歌しかない。
というわけで、この歌が彼が歌の名手である根拠になるわけですが、そんなにいい歌か、といわれると、なんとも私には答えづらい。
まあ、とりあえず、歌を見ていきましょう。
「わが庵は」の〈庵〉は天智天皇の第一首目に出てきましたね。
まあ、「自分が住んでる粗末な住まいは」ってことでしょうな。
「都のたつみ」の「たつみ」は〈東南〉ってことです。
まさか、あなたが、十二支が方角や時間を表わすことを知らない、とは思いませんが、念のために書いておきます。
まあ、古語辞典の付録か、国語便覧でも見て確認してくれればすむことですが、とりあえず、子(ね)を上にして、十二支を順に時計周りに円を書きます。
と、上には子、真下には午(うま)、右に卯(う)、左に酉(とり)が来ます。
これがそのまま方位を表すので、子が北、午が南、卯が東、酉が西です。
で、北東は丑(うし)と寅(とら)の真ん中になるので、丑寅。
同じ理屈で、辰巳(たつみ)は南東、未申(ひつじさる)は南西、戌亥(いぬい)は北西ということになります。
というわけで、「都のたつみ」は「都の東南」。
「しかぞすむ」は「〈鹿〉が住んでいる」という意味ではない。
そうではないけれど、本来、「たつ⇒み⇒うま」と続くべきところを「たつ⇒み⇒しか」と並べたところがシャレてるでしょ、って思いは当然あるんでしょう。
まあウマの代わりにシカを入れて、実は「馬鹿」という意味をも含めてある…なんてことは全然ない。
(漢字が違いますものね)
というわけで、この「しか」は、漢字で書けば「然」。
「そんなふうに」とか「そのように」とかいう意味の副詞です。
よって「しかぞすむ」は「こんなふうに住んでいます」ということになるのですが、 「じゃあ、どんなふうに住んでるの」 ということの答えは前に書いてない。
というわけで「すむ」という語は「住む」だけじゃなくて「澄む」という意味も掛っていると見るべきなんです。
「私はこんなふうに心澄まして(心しずかに)住んでいますよ」
「よをうぢ山と」の「うぢ」も、「宇治山」という彼が住んでいる地名の「うぢ」と、「世を憂し」の「憂し」を掛けてある掛詞です。
「世」は「世間」という意味もありますが、それなら、別に古文じゃなくてもわかりますから、それでいいのですが、古文で「世」と出てきたときは、とりあえず「男女の仲」という意味のあることを意識する習慣を持つといいですな。
この歌の「世」がそれに当たるかどうかはわかりませんが、そう取る方が歌はおもしろくなる。
「憂し」は「つらい」とか「いやだ」ということです。
「人はいふなり」の最後の「なり」は断定の助動詞〈なり〉ではなく、伝聞推定の助動詞「なり」です。
よって、「人はいふなり」は「人は言っているそうな」ってことです。
だから、歌全体の意味としては、
私の庵は、都の東南にある宇治山に、私は心澄まして住んでおりますのに、世間では、
「あいつは、失恋でもして、世の中がイヤになったと思って、あんなところに引っ込んでいるんだ」
なんてうわさをしているそうですなあ。
とまあ、これは言葉遊びを交えた余裕の歌というべきでしょうか。
失恋の ウワサ立つ身は うぢ山に