ちはやぶる 神代もきかず 龍田川

 

   からくれなゐに 水くくるとは

 

       在原業平朝臣

 

在原業平朝臣(ありはらのなりひら・あそん)。
お兄さんに続いて、いよいよ今度は弟・業平さんの登場です。

「朝臣」は「あそん」と読みますが、これは「五位以上の人に付ける敬称または親称」ですから、「在原業平朝臣」というのは「在原業平さん」といった感じだと思えばいい。

 

業平については、「伊勢物語」の話をいくつか読んだので、どんな人だったかはあなたも知っていますね。

 

さて、この歌、古今集にはこんな詞書が付いています。

 

二条后の東宮の御息所と申しける時に、御屏風に龍田川にもみぢ流れたる形をかけりけるを題にてよめる

 

(二条の后が「東宮の御息所」という名前で呼ばれていた頃、その御邸の屏風に龍田川に紅葉の流れている絵が描かれてあるのを題にして詠んだ歌)

 

だから、どうしたの?
と思うでしょうが、この「二条の后」というのは実はあの藤原高子(たかいこ)のことなんです。
つまり、業平さんは、かつての恋人・高子さんが「東宮をお産みなれたお妃」と呼ばれていらした頃、そのお邸の新しく描かれた屏風の絵を見て詠んだ歌、というんです。
(ちなみに、「東宮(とうぐう)」というのは「皇太子」のことを指す言葉です。
ですから、今の皇太子御一家が住んでいるところは「東宮御所」と呼ばれていますよ)

それはさておき、この時、この二人の元恋人同士は顔を合わせたんでしょうかねえ。

まあ、顔は合せなかったんでしょうが、でも、自分がかつて恋をし、そして引き裂かれ、今は天皇と結婚した相手のそのお邸に行った時の、男の、あるいは、その男がやって来ていることを知っている女の、二人それぞれの胸の中の思いを想像するとなかなか興味深い。

 

さて、では、業平さんが、そこでどんな歌を詠んだのか見ていきましょう。

 

ちはやぶる」は「神」に掛る枕詞です。

これは、もともと「霊力が強い」とか「勢いの激しい」とか「狂暴な」という意味を持つ言葉です。
ぶる」と濁音があるところに力があって、響きもそんな感じがするでしょ。

そしてその言葉を「神代も聞か」とこれまた濁音で終わる終止形の句が受けているので、「ちはやぶる 神代も聞かず」という二句は、なんだかものすごい断言に聞こえてくる。

 

とんでもないことが起こったという、あの神代でさえ聞いたことがないよ!

 

てな、感じです。

さて、どんなことを聞いたことがないと言っているかというと、それは下に書いてある。

 

龍田川」はもちろん川の名前で、紅葉の名所です。

「からくれなゐ」の「から」は「」とも「」とも書きますが、要するに「海の向こうの国のこと」です。

からくれなゐ」そんな大陸の国から舶来の(船で運ばれてきた輸入品ということです)鮮やかな紅色です。

 

「水くくるとは」。

落語に『千早振る』という、この歌を題材にしたのがあって、その中では、この「水くくる」は「水くぐる」のことで、《竜田川》という名前の力士を「振った」「千早」という名の花魁(おいらん)が水に飛び込んで死んだ(水をくぐった)ということになっていますが、これはむろん、全然ウソ。

くくる」というのは《くくり染め》という布の染め方のことを指すんだそうで、要は「染める」ということです。 くくり染めというのは、今の「絞り染め」という染め方で、糸で布をくくって染料に入れると、その部分が白い模様が残る染め方です。

つまりは、龍田川に紅葉が散って、それがまるでくくり染めをした布みたいに見える、というんです。

布を染める、というのならわかる。
でもね、この龍田川は、なんてこった!
あのミラクルな神代にだって聞いたことないよ、水を真っ赤な唐紅にくくり染めにするなんて!

これ、新調の屏風の鮮やかさをほめてる歌なんです。

 

でも、やっぱり私、ふたりのことが気にかかる。

 

あのすごい 神代にもない! 龍田川

      こんなに真っ赤に 水を染めてる