わびぬれば 今はたおなじ 難波なる
みをつくしても 逢はむとぞ 思ふ
元良親王
元良親王(もとよし・しんのう)。
お父さんは陽成院(「筑波峯の」の歌の作者)だそうです。
なかなかの「色好み」の人だったらしい。
そして、この歌は天皇の御息所との道ならぬ仲が露見した時の歌であるらしい。
うーん、いけませんねえ。
さて、歌。
「わびぬれば」の「わぶ」は大事な古語ですね。
ともかくも、失意、失望、行き詰まりで、意志も気力も失せた状態、です。
ですから、意味を言うなら
思い悩む。悲観する。心ぼそく思って嘆く
というのが第一の意味になる。
要するに、「わぶ」というのは「落ち込んでる」ってことです。
「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形ですから、「ぬれば」は確定条件ですね。
したがって「わびぬれば」は「俺はもう生きる気力もなくなっちまったから」です。
「今はたおなじ」の「はた」は副詞。
ここでは「また」とか「やはり」といった意味になります。
「難波なる」の「なる」は、安倍仲麿の「天の原」の歌の中に出てきた「春日なる」と同じですね。
ですから、意味は「難波にある」となります。
「みをつくしても」の「みをつくし」は、海や川の船が進むための水路を示すために立てられた杭=「澪標(みをつくし)」と「身を尽くし」の掛詞です。
「身を尽くす」というのは「そのことのために自分のすべてをささげる、命をかける」ということですね.。
ちなみに、「澪標」は「水脈(みを)つ串(くし)」が語源だそうです。
「つ」は「天つ風」の「つ」ですから、「水脈(=水路)の串」の意味になります。
難波の海は、前の歌に「難波潟」と読まれているように、谷津の干潟のように浅瀬が続く海だったので、どうしても、船が通れる水深が深い位置(水脈)を示す杭(串)が必要だったのでしょう。
「逢わんとぞ思ふ」の「逢はむ」は「逢ふ」の未然形に、意志の助動詞「無」の終止形が付いたものですね。
この歌の場合の「逢ふ」は、どう見ても、単に顔をあわせるだけの「会う」ではありませんね。
「思ふ」は前に係助詞「ぞ」があるから連体形、だってことは言うまでもありません。
あなたとの仲が噂に立って、あなたとは、もうお逢いできない。 そのことを思いわずらい、こんなつらい思いをしている今となっては、もう私は死んだも同じです。 ならば、いっそあの難波にある「澪標」のように、身を尽くし、身を滅ぼしてもあなたにお逢いしたいと思うのです。(だから、だから、逢ってください)
逢えないつらさの反転攻勢ですね。