吹くからに 秋の草木の しおるれば
むべ山風を あらしといふらむ
文屋康秀
文屋康秀(ふんやのやすひで)。
この人の名前には、官位も、「朝臣」も付いていない。
呼び捨て。
これは、身分が低い、ということです。
で、歌に行きますが、実は、私、この歌、あんまり解説の意欲がわかない。
でもまあ、やっておきましょう。
「吹くからに」の「からに」は大切な接続助詞。
意味は三つほどありますが、ここでは「…するとすぐに」「…するやいなや」。
英語でいえば
as soon as。
ですから「吹くからに」は、
As soon as it blows,
そいつが吹いてくるとすぐに。
「秋の草木の しおるれば」。
「しおるれば」は、已然形+「ば」ですから、確定条件。
秋の草木がしおれてしまうので。
「むべ」は副詞で、「なあるほど」、「いかにも」てな意味です。
「うべ」とも書きます。
「山風を あらしというふらむ」。
「あらし」は「荒し」と「嵐」の掛詞です。
「らむ」は「住の江の」の歌で一度出てきましたが、現在(の原因)推量の助動詞。
ここでは、理由が先に述べてあるので、
なるほど、山風のことを、《あらし》というのだろう。
ということになります。
よって歌全体は、
山風が吹いてくるとすぐに、そこらじゅうを荒らし、秋の草木がしおれてしまう。
なあるほど、だから、「山」「風」と書いて、《あらし》と言うんだな。
どうです、納得しましたか?
なんだか、小学校の1年生ぐらいから、
「切っても、切っても、全然細かくならない物、な~んだ?」
となぞなぞを出されて、
「うーん」
と考えていると、うれしそうな顔をして
『トランプ、だよ!』
答えを教えてもらった時みたいな気分でしょ?
大人としては、こういう時
「ああ、きっと、こういうのが、おもしろくてたまらないんだな、子どもって」
と思いながら、
「わぁー、ジュリちゃん、すごいね!」
って、その子の頭を撫でてあげるしかない。
でもなあ、これ、大のおとながやってるんだからなあ。
定家さんも、これ、いい歌だと思ったんだろうが、不思議だなあ。
まあ、現代でも、年をとって、本当の意味の詩心が消えて、漢字や言葉の成り立ちなんぞを詩にでっち上げていた年寄りの詩人もいるから、おんなじなのかな。