小倉山 峰のもみぢ葉 こころあらば
今ひとたびの みゆき待たなむ
貞信公
貞信公(ていしんこう)。
名前は藤原忠平。
藤原基経の息子。
「あはでこの世を すぐしてよとや」の歌を詠んだ伊勢に、あの歌をおくられた初恋の人、藤原仲平の弟で、摂政にも、関白にもなった人です。
今、「大鏡」を読んでみたら、この人大臣の位に32年間いたそうです。
さて、この歌も、意味を取る上では、最後の
「なむ」
が重要ですね。
もっとも、すでに受験態勢に入っている(はずの)あなたは、もう「なむ」の識別は出来ているとは思いますが、一応、念のために書いておきましょう。
「なむ」には大きく分けて、三つありましたね。
- 係助詞の「なむ」。
意味は、強意でした。
接続は、何にでも付きます。 - 終助詞の「なむ」。
「他にあつらえ望む」と意味でしたね。
「…してほしい」「…してもらいたい」
接続は「未然形」。 - 完了の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「む」。
この場合の「ぬ」は意味的に「強意」ですから、「む」の意味を強めているんでした。
よって、「む」が
【推量】を表すなら「きっと…だろう」ですし、
【意志】を表すなら「きっと・・・しよう」「必ず…してしまおう」
という意味になる。
接続は完了の助動詞ですから「連用形」。
さて、歌に戻ってみると、「なむ」の前は「待た」です。
むろん、これは四段動詞の「未然形」ですから、この「なむ」は②の「なむ」だとわかりますね。
よって、「みゆき待たなむ」は「みゆきを待ってもらいたい」という意味だとわかります。
だからと言って、
「そうか、みゆきちゃんを待っていてもらいたいのね」
と思ってはいけません。
「みゆき」は「御幸」とも「行幸」とも書きますが、天皇や上皇、あるいは女院が外出することを指します。
ちなみに、女院(にょいん)というのは、天皇のお母さんや内親王――これは天皇の姉妹や皇女のことで、愛子さまは「愛子内親王」です――に対する尊号です。
ですから、《いまひとたびの みゆきまたなむ》は
「もう一回の行幸を待っていてもらいたい」
と言っているのです。
これを忠平さんは「小倉山」の「峰のもみぢ葉」に向かって呼びかけているのです。
もっとも、紅葉に聞く耳なんてありませんから、あくまで
「こころあらば」=【もしおまえにこころがあるのなら】(未然形+《ば》で、仮定表現でしたね)
と、言っているわけです。
となんだか、わかったような、わからないような、話になってしまいました。
それというのも、これがどんな状況で詠まれた歌かわからないからですね。
この歌が載っている「拾遺集」の詞書によれば、
晩秋のある日、宇多上皇が大井川に御幸された。
そのとき、小倉山の紅葉があまりに美しいので、
「こんなすてきな紅葉を、息子の醍醐天皇にも見せたいものだ」
とおっしゃった。
それを聞いて、貞信公・藤原忠平さんが、そのことを天皇に奏上しましょうと言って、作った歌
というわけで、歌の意味を書いておけば
小倉山をこんな美しく彩っているもみじ葉よ。
おまえにこころがあるなら、色あせず、今回の上皇の行幸に加えて、もう一回天皇が行幸されるのを、散らずに待っていてもらいたい。
小倉山の きれいな紅葉 散らないで
もう一回の 行幸待ってて