心あてに 折らばや折らむ 初霜の

 

            おきまどわせる 白菊の花

 

                     凡河内躬恒

 

 

凡河内躬恒(おほしかうちのみつね)。
長い名前です。
「おーしこーちのみつね」。
しかも呼び捨て。
つまり、身分が低かったということですが、この人は、紀貫之などとともに、「古今集」の編者になった人です。

 

歌を見ていきましょう。

 

「心あてに」は「当て推量で」「心の中であれこれ推し量りながら」「適当に」。

 

「折らばや折らむ」…「折るのなら折ってもみようか」。

この「ばや」は「…したいものだ」という意味の終助詞「ばや」ではありません。
接続助詞「ば」+疑問の係助詞「や」です。 だから語末の「む」は連体形ですね。

 

さて、何を「折ってもみようか」といっているかと言うと、「白菊の花」をです。

それを、なんで「心あてに」折らねばならないかといえば、その白菊の花に初霜が下りて(置いて)、霜も菊も真白なので、どっちがどっちだか見る者をまどわせるからだ、と言うんです。

 

どう思います?あなた。

 

明治になって、短歌の革新運動を起こした正岡子規という人が、「歌よみに与ふる書」というのを書きました。

 

貫之は下手な歌よみにて『古今集』は下らぬ集に有之候(これありそうろう)。

 

という文句で有名なものですが、その五回目に、躬恒のこの歌も槍玉に挙がっている。
曰く、

 

この躬恒の歌、百人一首にあれば誰も口ずさみ候へども、一文半文のねうちも無之(これなき)駄歌に御座候(ござさうらう)。
この歌は嘘の趣向なり、
初霜が置いた位で白菊が見えなくなる気遣(きづかひ)無之候(これなくさうらう)。
趣向嘘なれば、趣も糸瓜(へちま)も有之不申(これありまうさず)。

 

霜が降りたくらいで、菊と霜の区別がつかなくなるなんてことがあるもんか!
こんなの、嘘っぱちの、箸にも棒にもかからぬへぼ歌だ!と言っているわけです。

 

まあ、たしかに言われてみれば、その通りで、なるほど、こんな男が編集に関わった『古今集』は下らぬ集かもしれぬ、と思ったりする。

 

でもね、ここまで三十首近く歌を一緒に読んできて、あなただって、この時代の人たちが、歌に込めたものが、単なる叙景や、単純な心情吐露ではなかったことが、なんとなくわかって来ただろうと思う。
それはたしかに「リアリズム」ではなかったかもしれない。
けれども、倒置、体言止め、擬人法はもとより、縁語、掛詞、そして序詞と、あらゆる作歌技法を駆使してこの時代の人たちが作り上げた「みそひともじ」の世界は、言葉によるリアリズムではなく、むしろ、言葉によるイメージの広がりをよろこび、それを大切にしているのだということがわかる。
すくなくとも、この百人一首を編んだ藤原定家にとって、歌とはそういうものだったのでしょう。

 

では、子規にではなく、できるだけ躬恒さんに好意的に、この歌を解釈してみましょう。

まず、季節は、秋の終わり、あるいは冬の初め。
前の晩、寒いな、寒いな、と思いながら寝た翌朝のことです。
下ろしてあった蔀戸(しとみど)を上げると、朝の光の中で、庭は一面の霜で真白に変わっています。
「初霜」です。

「冬はつとめて」と枕草子に書いた清少納言はまだ生まれてはいませんが、身を引き締めさせる清冽な冬の朝の空気がもたらすすがすがしさを、彼も感じていたはずです。

妻戸を開け、彼は庭におりたちます。
見ると白菊の咲いていたあたりも霜で真白になっています。

をっ、をっ、おっ!これじゃどこが菊だかどこが霜だかわからないぞ

それくらい、あたり一面真白なのです。
躬恒さん、なんだかニコニコしています。

(ちなみに、このとき躬恒さんが上げた「をっ、をっ、おっ!」という心の中の三回の叫び声が、「折らばや折らん」と「置きまどわせる」の「を」や「お」になって、歌の中に入っている……というのは、全然嘘です。
でも、この歌、声に出してみると「お」の音が響きますよね)

 

というわけで、これは、初冬の朝の清澄な空気を、初霜と白菊で表現しようとした歌、ってことだと思います。

 

いいかげんに 折るしかないね 初霜に

 

                    まぎれて見えぬ 白菊の花