有明の つれなく見えし 別れより
暁ばかり 憂きものはなし
壬生忠峯
壬生忠峯(みぶのただみね)。
前回の凡河内躬恒に続いて、この人も、古今集の編者です。
編者には、あと二人、紀貫之と紀友則がいます。
皆、身分の低い人たちです。
古今集が成立したのは、10世紀の初め、905年です。
平安京に都が遷ったのが、794年ですから、それからもう100年以上たっているわけです。
一方、百人一首の方は、天智天皇から始まって、時代はそれからおよそ250年たったことになります。
さて、歌を見ていく前に、この当時の男女の付き合いのありようを確認しておきましょう。
この時代、ふたり仲良くデート、なんてのはなかった。
どこも行かない。
基本的に、夜、男が女の家に訪ねていく。
それだけです。 女はひたすら待つだけ。
(つらいですな)
で、女の家を訪ねた男の方は、必ず、夜明け前に女の家を出なければならない。
なんでそうなのかは、よく知りませんが、そういうことになっている。
そうやって一夜を共にした男女が別れる朝のことを「きぬぎぬ」といいます。
漢字で書くと「後朝」。
というわけで、この歌はそんな後朝の別れを歌った歌です。
「有明」は前の素性法師の歌で出てきました。
夜明けの空に残る月でしたね。
「暁」は「夜更けから夜が明ける前の時間」です。
未明。
夜が白みはじめれば「あけぼの」ですから、その前ですね。
この時間に、男は帰らなければならない。
ところで、高校の国語便覧のこの歌の訳を読んで、私、びっくりした。
「ほんまかいや」 と手元の古今集を開いて、上の注釈欄に書いてあるこの歌の訳を見ると、便覧と同じような訳が書いてある。
そんな解釈が正統なのだとは、私、今まで思ってもいなかったんですが、とりあえず写しておきます。
有明の月が、夜が明けたのもそ知らぬ顔で空にかかっていた・・・、すげなくふられて帰ったあの別れがあってよりこのかた、私には、暁ほどつらいものはないように思われる。
うーん、そうだったのか、男はふられたんですね。
「つれなく見え」たのは、有明の時「の」、女の態度だったんですね。
せっかく出かけて行ったのに、男は、思いを遂げずに帰ったんですね。
うーん、それは、たしかに、つらいなあ。
でも、私、これまで、子どもたちのためにかるたの読み上げをしている時、この歌のこと、全然違う意味にとりながら読んでいた。
有明の月が、人の気持ちも知らぬ気に「つれなく見え」たのだと思っていた。
だって、「有明の」の「の」を「主語を示す格助詞」と、とれば、有明「が」つれなく見えた、ということになるでしょ。
あのですね、この二人は、お互い好き同士なんですよ。
その二人が一夜を過ごす。
むろん、お互い、別れたくない。
別れたくないけれど、朝が近づいてきて、男は別れて帰らなければならない。
そんなつらい思いで帰る路、空には、人の気持ちも知らぬ気につれなく有明の月がかかっていた。
その朝から、ふたりは逢えずにいる。
ずっと逢えずにいる。
だから、暁がくるごとに、男は、つらい気持ちになる。
女と別れたあの朝のことを思い出して・・・。
という、そんな歌だと思っていた。
ほかの資料を読んでみると、実は、百人一首を選んだ藤原定家も私と同じように解釈して、この歌を評価していたらしい。
ね。
私の妄想がその道の「権威」と合致することもあるんです。
有明が つれなく見えた あの別れ
あれから夜明けが ほんとにつらい