忘らるる 身をば思はず ちかひてし
人の命の をしくもあるかな
右近
右近(うこん)。
右近衛少将季縄(うこんえのしょうしょう・すえなわ)の娘なので、宮仕えしたときの名が右近。
それにしても、久々の女性の登場ですね。
「坊主めくり」をやっていると、結構「姫」が多いように思うのですが(21枚)、ここまで女性が出てきたのは、持統天皇、小野小町、伊勢、そしてこの右近で4人目です。
(女性陣が続々登場するのは、いわゆる王朝全盛期、藤原道長の時代になってからです。)
そういえば、ここまで、あまりぱっとしないおじさんたちの歌が続きましたが、この右近の歌から、恋の歌が続きます。
その「恋歌メドレー」のトップバッターのこの歌、なんと、なかなか怖い歌です。
「忘らるる 身をば思わず!」
打ち消しの助動詞「ず」を終止形ととれば、歌は二句切れになります。
あなたに捨てられ忘れられてしまう自分のことはどうでもいいの!
です。
「ただね」とは書いてないけど、歌の気分はそんな感じで続きます。
「ただ気がかりなことが一つあるの」と言っている。
何が気がかりかと言うと、
「ちかひてし 人の命」
です。
「ちかひてし 人」は、自分の恋の相手の男のことです。
《てし》が、完了の助動詞〈つ〉の連用形+過去の助動詞〈き〉の連体形ですから、
「誓ってしまった人」
ですね。
さて、相手の男、何を誓ってしまったのかというと、
「君のことを、どんなことがあっても、永遠に愛し続けるよ」
と神にかけて誓ったわけです。
でも、男は、女のところにやって来なくなった。
女は忘れられた。
つまり、男はあの時、神にかけた誓いを破ったわけです。
さて、神かけた誓いを破ったわけですから、当然、神罰がくだることになる。
だとすれば、男、死んでしまいます。
というわけで、女は
「あんな軽々しい嘘の誓いで死んでゆくことになるあんたの命が惜しいことだわ」
と、言っているわけです。
歌全体としては
ふられた私のことは別に気にもしてないの。
ただね、あんな大げさな誓いを神に立ててしまった、あんた。
私をふったせいで死ななきゃいいけど、大丈夫?
と、なんとも強烈なイヤミを男に言っている歌になる。
ところで、「思はず」の「ず」を連用形でとる解釈も当然あって、それでいくと、歌は、ずっとしおらしくなりそうです。
私があなたに忘れられてしまう身になるなんて思いもしないで、私とふたり、永遠の愛を心から神に誓いましたわね。
でも、なぜだか、そのあなたが、誓いを破ってしまわれた今、そのことで死んでいくことになるあなたの命が惜しまれてならないのです。
「ず」を終止形ととる二句切れの歌だと、女は、男のことを、はじめからだますつもりで嘘をついていた、ゲスな男と見て、未練も何もなく、
「あんたみたいな男、死んでしまえばいいのよ!」
と言っているように見えるのに対し、「ず」を連用形でとらえると、女は、あの誓いを本心だととらえ、何かの事情で心変わりをした男にまた自分のところに戻って来てもらいたい一心でこの歌を男におくったことになるように見えます。
まあ、私としては、後者の解釈の方が好きなんですが、「二句切れ」の方でこの歌を読むのがどうやら一般らしい。
ちなみに、この歌を載せた「大和物語」の八十四段は
返しはきかず。
と終わっています。
男から、返事はなかったらしい。