由良(ゆら)の門(と)を 渡る舟人(ふなびと)
かぢを絶え
行方も知らぬ 恋のみちかな
曾禰好忠
曽禰好忠(そねのよしただ)。
丹後掾(たんごのじょう)だったので「曽丹=そたん」と呼ばれて、バカにされていたらしい。
(掾というのは、地方のほんとの下っ端役人です)。
「今昔物語」にこの人の話が載っている。
円融院が船岡山に御幸なされた時、召されてもいないのに、粗末な服でやって来て、和歌詠みたちが座っている席に座っているのを、なんでこんなところに「そたん」がいるんだと、とがめられると、自分はここにいる人たち(たとえば、清少納言のお父さんの清原元輔とか、もうすぐ出てくる大中臣能宣、とかいった人たちの名前が載っている)より、才能が劣っているわけじゃあない、と言って、なおも居座り続けるので、襟首を掴まれて引きずり出され、さんざんに蹴られた。
という話です。
なんだか、ひねくれた老人だったらしい。
でも歌のイメージは、なかなかくっきりしている。
「由良の門(ゆらのと)」は、地名です。
もともとは、紀州(和歌山県)と淡路島の間にある紀淡海峡のことを指しました。
でも、江戸時代、契沖という国学者が、曽禰好忠が丹後掾だったから、これは、丹後(京都府)の由良川の河口のことだ、と主張したらしい。
愛ちゃんにもらった、「国語便覧」では、この契沖の説を採用した訳が付いている。
でも、どうなんでしょう、私のイメージからすると、河口というより、海峡の方が、しっくりくる気がするのですが、そのことは後で書きます。
さて、海峡であれ、河口であれ、そこを渡る舟人がいる。
そこは「由良の門」です。
この言葉には「ゆらゆらゆらゆら」という波に揺られるイメージも重なりますね。
そうやって舟人は渡っていきます。
ところがその舟は、「かぢを絶え」の状態である。
「かぢ(かじ)」というのは、現代では「船の後ろにあって、船の進む方向を変える装置」という意味でしか使われませんが、古語でいう「かぢ」は、櫓(ろ)とか、櫂(かい)とか、船を漕ぐ道具全般を指す言葉なのです。
「を」というのを格助詞ととって、「かぢを絶え」を「櫓櫂(ろかい)をなくして」という意味にとる解釈もあります。
「もある」どころか、私が参考にしている本は全部そうなっている。
でも、この「を」は「緒」ととる方が正しいんじゃないかなあ。
「かぢを」を辞書で引くと、
かぢを(楫緒)・・・かじを船に取り付ける縄。櫓縄(ろなわ)。
と書いてあります。
つまり、「かぢを」を「楫緒」ととれば、「かぢを絶え」は櫓を舟に固定させる縄が切れてしまった、ということになります。
カヌーのパドルを別にすれば、櫓とか櫂とかいうものは、支点がなければ、いくら力をこめて漕いでも思うように進みません。
ボートのオールだって、舟に固定されている場所がないと、ちっとも漕げないでしょ。
この歌の前半三句は、そんな状態を言っているんじゃないかなあ、と私は思う。
と、こんなにも、そのイメージにこだわるのは、ここまで三句が「行方も知らぬ」を引き出す序詞だからです。
もちろん、これが序詞だから、歌の意味は
「行方も知らぬ 恋のみちかな」
だけです。
こんなの訳すまでもないでしょう。
これからどうなっていくのかわからない恋の行方だなあ、
です。
序詞は、この場合「行方知れぬ恋」のイメージをかきたてる働きをしているはずです。
それは、櫓櫂を失くして茫然と波に揺られている状態なのでしょうか。
それとも、漕いでも漕いでも思うような進路を取れず波間に漂う結果になっている状態なのでしょうか。
私は、どうも後者のイメージの方が正しいような気がするんですがねえ。
ジタバタジタバタする。
でも思うように進まない。
あげく、自分たちがどこを目指しているのかすらわからなくなってくる・・・
これが「行方も知らぬ恋」なんじゃないかなあ。
それから、先に述べた「由良の門」のことにしても、陸地がすぐそこに見える河口であるよりは、ほんとうに目的地につけるだろうかと思いながら舟が波に漂う幅広い紀淡海峡のイメージの方がずっと、「行方も知らぬ 恋」にふさわしい気がします。
ゆらゆらと 由良の門をゆく 舟人は
いつか楫緒が切れて 波に漂っている
ああ、あの舟はどこへ行くんだろう。
そうだ、ふたり乗り出したこの恋の舟も、まるで楫緒が切れたよう。
漕ごうにも漕げないし、たとえ漕いでも進まない。
漕いでも恋、漕いでも恋・・・・・
そんな行方知らぬ恋の波間を
漂い続けるわたしたちよ。
「漕いでも恋」は、ただのダジャレで書いただけですが。
かじ緒なく 由良の門渡る 舟に似て
行方も知らぬ 恋に漂う