風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ

 

   くだけてものを 思ふころかな

 

 

     源重之

 

 

源重之(みなもとのしげゆき)。
同じ清和源氏だそうですが、頼朝さんとはちょっと系統が違う。
でも、刀を帯びて春宮(とうぐう=東宮=皇太子)の警備にあたる帯刀(たちはきorたてはき)たちの先生(せんじょう=長官)だったというから、彼もやっぱり武人だったのでしょう。

 

そんな武人(?)らしい歌をどうぞ。

 

 

「風をいたみ」。
この句の最後にある「み」は、一番はじめに出てきた天智天皇の

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は露に 濡れつつ

という歌の「苫をあらみ」の「み」と同じです。
つまり、

「…なので」「…だから」という原因・理由を意味を表す接尾語の「み」

です。
あの時の訳は、「苫があらいので」でしたから、これは
「風がいたいので」。

「いたい」と言っても、別に風の中に砂が混じっていて痛いという意味ではありません。

「いたし」は「甚し」と書きます。
今の読み方なら「はなはだし」ですから、意味もそうなる。
「はなはだしい」「ひどい」。
ですから、これは
「風がものすごいので」

「岩うつ波の」。
と、ここまでが「くだけて」にかかる序詞。

 

風が激しいので、岩にぶちあたる波のように

 

「おのれのみ」。
私だけが。

 

「くだけてものを 思ふころかな」

「くだく」は下二段の動詞。
もちろん、意味は今の「くだける」と同じで 「こなごなになる」ってことです。

これは、もちろん一つは、岩に飛び散る波の形容ですが、もうひとつ、心がこなごなになるほど思い悩んでいる自分の恋心の形容でもあります。

しかしまあ、

 岩うつ波の おのれのみ くだけて

というのは、すごい形容ですな。

 

思い切って、彼女に近づき告白をしてみたけれど、相手は岩のように固く、
その後何度アタックしてみても、彼女はまったく俺を受け入れてもくれず、
あーあ、ほんまにもう、
俺の心はコナゴナに飛び散っちゃったぜ!

 

みたいな感じが、すごくよく伝わる。

 

風が激しく吹きすさび、波は岩へと打ちかかる。
けれど、岩はそ知らぬ顔でそこに立ち、波はむなしく砕け散る。
ああ、そうか、俺は、あの波なんだ!
あの人にどんなに愛を求めても、いつもいつも俺ばかりが砕け散るだけ。
そんな、嘆きに沈んでいるこのごろの俺なんだよなあ。

 

どこか、武人っぽい、いわば「体育会系男子の片思い」の歌のような気がしますな。

 

烈風に 岩打つ波と 同じだな

 

     俺はあの子に 木端微塵だ