みかきもり 衛士のたく火の 夜はもえ
昼は消えつつ 物をこそ思へ
大中臣能宣朝臣
大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶ・あそん)。
「大中臣」という姓は、むろん中臣鎌足と関係がある。
鎌足は、後に藤原という姓を賜り、息子の不比等(ふひと)に続く系統がその姓を名乗るわけですが、それ以外の中臣氏は中臣氏のままだった。
けれどもその一部が功によって、「大中臣」の姓を名乗ることが許されたんだそうです。
というわけで、この大中臣能宣さんも藤原氏の遠い親戚ということになります。
「朝臣」ですから、それなりに地位は高かったんですね。
この人、「由良の門を」の歌を詠んだ「そたん」さんが呼ばれなかった行幸の際も、歌人としてちゃんと招待されていますから、当時の一流歌人だったわけです。
「古今和歌集」の次の勅撰和歌集である「後撰和歌集」の撰者である「梨壺の五人」のうちの一人でもあります。
さて歌をみていきましょう。
「みかきもり」。
漢字で書けば「御垣守」。
禁中(皇居)の御門を警固する役人のことです。
そこに諸国から毎年交代で徴集された兵士が「衛士(ゑじ)」です。
つまり、皇居を守るガードマンですな。
その衛士たちが、夜になると警固のために火を焚くわけです。
というわけで、
「みかきもり 衛士のたく火の」 は、下の 「夜はもえ、昼は消えつつ」 を引き出すための序詞です。
「つつ」は【動作の反復】を表すんでしたから、そのことを日ごと夜ごと、繰り返しているのですね。
「ものをこそ思へ」。
この「こそ」+已然形は、逆接ではありません。
「もの思いをね、していますよ」
という強調です。
全体はこんな感じ。
宮中の諸門を守る衛士たちが、夜毎に焚くあの篝火のように、私もまた、夜になると恋の炎に狂おしく身を燃やし、昼になると、まるで灰になったかのように、身も消え入るようなかなわぬ恋のせつなさにうち沈んでいるのだ。
この歌、見ようによっては、前の歌で「砕け散ったしまった」男のその後を歌ったような歌ですね。 定家さんもそんなことを狙って、この配列を決めたのかもしれない。
夜、あたりは暗く、だからこそ、自分の心の中に燃える恋の炎だけが、唯一つのたしかなものに思えたのに、そんなひとりよがりの恋の幻想も、昼間の光の中では、ありえぬ現実として色あせて見える、といったところでしょうか。
夜はもえ 朝に消えゆく 衛士の火の
昼はさびしく もの思ひする