君がため 惜しからざりし 命さへ

 

    長くもがなと 思ひけるかな

 

      藤原義孝

 

 

藤原義孝(ふじわらのよしたか)。

この人、敬称なしで出ているが、家柄が悪かったわけではない。
それどころか、摂政・太政大臣だった藤原伊尹(これただ)の三男だった。
(伊尹は「謙徳公」の名前で、前に歌が出てきましたね。
あなたに冷たくされた私は、かわいそうといてくれる人もなしに死んでくんですね。
「あはれともいふべきひとはおもほえで・・・」 と歌っていた人です。)

そんな高貴な出自なのに、敬称が付いていないのは、なぜだと思います?
経歴を見ると、まず
(九五四 ― 九七四) と書いてある。
数えてみてください。
なんと、この人、弱冠二十歳で夭折してしまっていたのです。
なんでも、天然痘にかかって、兄と同じ日に亡くなったらしい。

 

ですから、この歌、たぶんは十代の、君と同年輩の男の歌だと思って間違いない。
若い男の純情です。
こころして読みなさい!

「君がため 惜しからざりし 命さへ」。

君のためなら惜しくもないと思っていた命までも。

「長くもがなと 思ひけるかな」。
「もがな」、覚えてますね。
「もが」・「もがも」・「もがな」の三兄弟でしたね。
「・・・であったらなあ!」という願望を表す終助詞でした。

ですから、歌の後半の意味は

長くあってほしいとおもったことでした。

となります。
前後を続けて書けば、

君のためなら惜しくもないと思っていた命までも、長くあってほしいと思ったことでした。

なんでしょうね、これ。

この歌の詞書は

女の許(もと)より帰りて遣はしける

とあるそうです。
つまり、女の人とはじめて一夜を過ごしたその翌朝におくった歌です。

となると、この歌の言わんとするところ、わかりますよね。

 

昨日までは思っていました、
あなたのためなら死んでもいいと。
死んでもいいからお逢いしたいと。
ぼくは、自分の命なんて、ちっとも惜しくはなかった。
でも、今はちがう!
あなたとお逢いできたそのよろこびとしあわせで
ぼくは今
いつまでもいつまでも
あなたのために長く生きていたいと思うようになりました。

 

若いですなあ!
若いということは、まっすぐ、ということですなあ!
この歌、あなたに解説すべき作歌技法なんて一つもない。
そんなもの、要らないんですね、若いってことは。
ただ、ひたすらに、ひたすらに、自分の思いだけを述べて歌にしている。

 

でも、しあわせだったこの朝、「長くもがな」と願った命を、この人はわずか二十歳で失くしてしまったんですからねえ。
そんな運命も知らずに歌ったと思うと、この歌のあはれ、一層深くなります。

 

君のため 惜しくなかった 命さえ

 

  長くと思う 今朝のぼくです