朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに

 

   あらはれわたる 瀬々の網代木(あじろぎ)

 

       権中納言定頼

 

 

権中納言定頼(ごんちゅうなごん・さだより)。

「権(ごん)」というのはもともと「仮の」という意味です。
「権化(ごんげ)」というのは、仏や菩薩が人々を救うために仮の姿をしてこの世にあらわれたものです。(ただし「悪の権化」などというときに使う「権化」は、ある性質や観念が人の姿をして現れたものという意味です)
「権現」というのも、仏が衆生を救うために神や人など仮の姿をとってこの世にあらわれることをいいます。
徳川家康のことを「東照大権現」と言って、日光東照宮に祀ってありますが、家康は仏様が人の姿で現れた人だということなんですな。

というわけで「権中納言」というのも「仮の中納言」ということで、定員外に仮に任じられた中納言ということになります。

さて、藤原定頼は55番の《滝の音は》の歌を詠んだ藤原公任さんの子どもです。

でも、そんなこと言われなくても、あなたは、もうこの人の名前は既に知っています。

あの《大江山いく野の道の遠ければ》
の60番の歌で、小式部内侍に
「お母さんからのお使いはもう来ましたか」
と言ってちょっかいを出し、直衣の袖をつかんで引きとめられたあの人です。

さて、歌ですが、これは純粋なる叙景歌です。
百人一首には叙景の歌はめずらしいのですが、これまでに出てきたその例の一つも

朝ぼらけ有明の月と見るまでに

と「朝ぼらけ」で始まるのもおもしろい。

 

まあ、叙景歌ですから、単語の意味さえわかれば、あとは何事もない。

わからない単語と言っても「網代木」くらいのものでしょう。

「網代」というのは、川の浅瀬に杭を打って、網の代わりに(だから「網代」)竹や柴を編んで並べて氷魚(ひを)と呼ばれるアユの稚魚をとるようにした仕掛けです。
「網代木」はその網代を支えるために打たれた杭です。

「枕草子」に、

すさまじきもの(興ざめなもの、時節はずれのもの)、昼ほゆる犬、春の網代

とあるように、網代は秋の終わりから冬にかけてのものです。

ですから、ここにも秋の季語である「霧」が出てくるんですね。

秋深い朝がほのぼのと明けてくる。
すると宇治川の瀬音をおおうように広がっていた白い川霧もうすれ
その絶え間絶え間に
あちらこちらの瀬にしつらえられた網代木が見えてくる。
そして、やがて日が昇ると
霧はすっかり晴れわたり
目にまぶしいばかりに
日に輝く白波を立てる瀬ごとの網代木の姿よ。

すがすがしい、むしろ、ほがらか、と言っていいような川辺の朝の情景です。

 

 

朝明けや 川霧消えて ほがらかに

 

           瀬ごとに見ゆる 宇治の網代木