恨みわび ほさぬ袖だに あるものを
恋にくちなむ 名こそ惜しけれ
相模
相模(さがみ)。
この人は大江公資(きんすけ)という相模守(相模は今の神奈川県)の妻だったのでこう呼ばれたらしい。 一条天皇と中宮定子の間に生まれた脩子(しゅうし)内親王の女房として仕えたらしい。
この歌の詞書は
永承六年 内裏歌合(うたあわせ)に。
とあるだけ。
芸も何もないですな。
《恨みわび ほさぬ袖だに あるものを》。
「恨み」は、つれない男への恨み。
「わび」は、
「わびぬれば 今はたおなじ」
という歌で出てきましたね。
思いなやむ。悲観する。心細く思って嘆く
という意味で、要は「おちこんでる」ってことだよ、とその時書きました。
ですから、「わび」の方は、自分の身を頼りなく思って嘆いているんです。
つまり「恨みわび」という一句は、たった五音で、男への恨みと自分へのかなしみの両方を言っていることになる。
《ほさぬ袖だに あるものを》。
「ほさぬ」は「干さぬ」で、「乾かない」ってことです。
もちろん、涙で袖が乾かないんです。
つまり、捨てた男を恨んで泣き、捨てられた身の不幸を思って泣き、で、袖が乾く間がないんですな。
というわけで、「恨みわび」という言葉は、男にふられたときに女の子がひたすら泣く理由をこの一語でバン、と言い切ったことばなんですな。
《だに》。
大丈夫ですね。
古文で「だに」と出てきたら現代語の「さえ」でしたよ。
(「さへ」は「までも」でした)
「ものを」は「のに」ですね。
《恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ》。
またまた「なむ」ですが、大丈夫ですね。
連語ですね。
「ぬ」の未然形+「む」。
「朽ち」は、基本的に木が腐っていくことですから、「恋に朽ちなむ」は
恋できっとダメになってしまうだろう
ですな。
《名こそ惜しけれ》。
私の名前が惜しい。
あるいは
私の評判がくやしい。
これを「こそ」「惜しけれ」の係り結びで強調しています。
私に冷たいあの人を恨み、
あの人に冷たくされている自分がかわいそうで、
涙に明け暮れる私の
涙で乾くひまもない袖でさえ
朽ちずにここにあるのに、
あんな男を好きになって、あげくふられてと
そんな世間の評判の中で私の名前は朽ちてゆく。
ああ、なんてつらい・・・。
はたして、恋をしている女の人が世間の評判なんか気にするものなのかどうか、私には全然わからないのだが、歌はそう歌っているから、そんなものなのかしらと思うしかない。
これは、恋の最中ではなく、男にふられた後、ふと我に返った時の歌だからだろうか。
わからない。
あなた教えてくださいませ。
恨みつつ 嘆く涙に 朽ちもせず
袖はあるのに 名は朽ちてゆく