心にも あらでうき世に ながらへば

 

   恋しかるべき 夜半(よは)の月かな

 

 

         三条院

 

三条院(さんじょういん)。
年譜に(976-1017)とありますから41歳で亡くなっている。
第六十七代天皇。
「院」とありますから、天皇をやめてから亡くなられたのですね。

ところで、三条天皇の名は、前に

いまはただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな

と歌った左京太夫道雅の恋の相手当子内親王の父親で、彼らの仲を引き裂いた天皇として出てきましたね。

 

歌を見ていきましょう。

《心にもあらで》。・・・「不本意にも」。「望んでもいないのに」。

《ながらへば》。
「ながらふ」は下二段の動詞ですから、この場合は、未然形+「ば」で、仮定を表しています。
というわけで、「もし、生きながらえるなら」。

《うき世》。
これは「憂き世」であって「浮き世」ではない。
「うきよ」が「浮き世」「浮世」と書かれるのは、江戸になってからですね。
「生きがたいつらい世の中」です。

《恋しかるべき》。・・・「恋しく思うであろう」

このつらい世に
長く生きたいとも思わない私だが、
もしも生き長らえることになったら、
今宵のこのうつくしい月のことを
きっと恋しく思い出すことだろう

 

天皇の位にある方にしては、ずいぶん歌声が暗いですね。

詞書を見てみると

例ならずおはしまして位などさらむとおぼしめしけるころ、月のあかかりけるを御覧じて

(病気がちであられて天皇の位をおりてしまおうとお思いになられたころ、月が明るく照っているのを御覧になられて)

となっています。

この方、十一歳で東宮(皇太子=次の天皇になられる方)に立たれ、三十六歳でようやく天皇に即位なされたのですが、わずか五年で位を譲られた、と『大鏡』の中に書いてある。
位を譲った相手は、わずか九歳の後一条天皇で、これは一条天皇と、道長の娘、中宮彰子の間に生まれた子であって、自分の息子ではない。
もちろん、そこに、自分の孫を早く天皇につけたいという道長の、退位を暗にすすめるさまざまなふるまいがあったことは当然です。
そのうえ、大鏡の記事によれば、三条天皇は目がほとんど見えなくなっておられたという。
これが《例ならずおはしまして》ということである。

譲位を決意した(位などさらむとおぼしめしける)三条天皇は、ほとんど見えない目で美しい月を眺めているのである。
そして、そこに、思い出の中でしか月を見つめられないであろう未来の自分を重ねている。

この世を「うき世」といい、そのうき世に長らうことを「こころにもあらで」と詠む天皇の心はやはり暗い。

天皇は譲位の翌年に亡くなられている。

 

心にもなく 生きながらえば 今日の月

 

  さぞや恋しく 思うのだろう