夕されば 門田の稲葉 おとづれて

 

  蘆(あし)のまろ屋に 秋風ぞ吹く

     大納言経信

 

大納言経信(だいなごん・つねのぶ)。
源経信(1016-1097)。
時代はすっかり11世紀です。

この人、和歌はもとより、管弦、朝廷の儀式に関する知識=有職(いうそく)、はては蹴鞠も上手だったそうで、ひと時代前の藤原公任(「滝の音は」の歌の人)と同様、「三船の才」と謳われたらしい。

 

《夕されば》。

「去る」ということばは、空間的には離れていくことを言いますが、時間や季節の場合は多く、それが近づいて来ることを意味します。

ですから、《夕されば》は「夕方がやって来ると」という意味になります。

 

《門田》。
門の前にある田です。

 

《おとづれて》。
「おとづる」は「訪る」ですから「訪問する」という意味はもちろんありますが、もう一つ「音を立てる」「声を立てる」といういみもあります。
そもそも語源が「音連れ」ですからね。

 

《蘆のまろ屋》。
「まろ屋」は仮小屋。
ですから《蘆のまろ屋》は「蘆で葺いた仮小屋」ということですね。

 

夕暮れがやって来ると
門の前の田の
黄色く実った稲の穂が
さらさらと音を立て
そんな
秋風がわたり
いま
蘆葺きの小屋を通り過ぎていく

 

詞書は

師賢(もろかた)朝臣の梅津の山里に人々まかりて田家秋風といへる事をよめる

(師賢朝臣の梅津の山里に人々が出かけて「田家秋風」ということを詠んだ)

 

というわけで、これは題詠なんですが、なかなかすてきな景色です。
黄金色に実った稲の乾いたよい匂いまで漂ってくるようです。

これで、秋の歌が三つ並んだわけですが、あなたはどの秋がお好きですか?

夕ぐれの 稲穂かすかに 音を立て

 

  蘆のまろやに 秋風が吹く