音に聞く 高師の浜の あだ波は
かけじや袖の 濡れもこそすれ
祐子内親王家紀伊
祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)。
《音に聞く》。
「噂に聞いている」・「噂が高い」
《高師の浜》。
大阪・堺市から高石市にかけての海岸なんだそうです。
もちろん「高師」のは「音に高い=噂に高い」という意味が掛けられています。
《あだ波》。
《あだ》は形容動詞「あだなり」の語幹。
漢字で書くと「徒なり」ですから、形容動詞の《いたづらなり》と同じですね。
意味は、「むだなさま」・「無益なさま」・「むなしいさま」という、《いたづらなり》と重なる意味もありますが、《あだ》のメインの意味は「浮気なさま」・「誠実でないさま」というものです。
ですから、「あだな男」「あだな女」なんて噂は、あんまり立てられたくないですな。
というわけで、《あだ波》は、本来は「いたずらに岸に打ち寄せては返す波」を言うんですが、まあ、だいたいは「女と見れば浮気心で声をかけてみせるような男」、つまりはナンパが得意な男のたとえだと思えばいい。
《かけじや》。
《じ》はこの場合、打消意志の意味のなりますから「かけますまい」。
「かけまい」とおもっているのは「波」であり、「恋の思い」でもあります。
《袖の濡れもこそすれ》。
ここで大事なのは
《もこそ》。
これは
《もぞ》・《もこそ》
を対にして覚えておいてください。
どちらも
「・・・するとこまる」・「・・・するとたいへんだ」・「・・・するといけない」
という意味です。
君は、いま『源氏物語』を学校で習っているようですが、その「若紫」の巻で、源氏が幼い紫の上を垣間見するところが出てきたはずです。
そこで、幼い紫の上が
「雀の子を犬君(いぬき)が逃がしつる」
と言って、泣いている場面が出てくる。
そのとき、そばにいた女房が
「いとをかしうやうやうなりつるものを。
烏(からす)などもこそ見つくれ」
(スズメはずいぶんかわいらしくだんだんなってきていたのに。
カラスなんかが見つけたらたいへんだわ)
と言っていましたね。
こういった、助詞がわかっていると、古文はずいぶんわかりやすくなります。
というわけで、《濡れもこそすれ》は
「濡れてしまったらこまりますもの」
ということですね。
袖が濡れるのは「波」、そして「涙」にですね。
噂に高い、
あの高師の浜の あだ波
高く寄せたかと思えば、すぐに後ろへさがってゆく
そんな波に、袖を濡らしたりできませんわよね
あなたの心も、
あのあだ波と同じ
寄せるときはすごい勢いで寄せてはきても
身をゆだねたら、さっとうしろにに下がっていくに決まっています
だから、そんなあなたに恋の思いをかけたりはしません
袖を涙で濡らしたりしたらこまりますもの
この歌の詞書は
堀川院の御時艶書合(えんしょあはせ)によめる
とあるそうです。
「艶書合」というのは、言ってみれば、男女が歌のラブレターをおくり合ってみせるコンクールで、男が求愛の歌をおくると女がそれに返し、今度は女が男への恨み事を歌にすると、男がそれに返すというものらしい。
まあ、架空の恋のやり取りをするものですが、それはそれでなかなかたのしそうです。
ちなみに、紀伊さんの相手に指名された藤原俊忠(定家さんの祖父)はこのとき29歳、一方の紀伊さんはといえば、だいたい70歳くらいのお婆さんだったそうです。
しかし、そんなこと全く感じさせない艶なる歌ですな。
おばあさん、貫録の恋歌です。