契りおきし させもが露を 命にて
あはれ今年の 秋もいぬめり
藤原基俊
藤原基俊(ふじわらのもととし)。
久しぶりに敬称抜きの男の人の名前が出てきました。
この人、父親は右大臣だったのですが、出世できなかったらしい。
歌もそのことと関係があるようですぞ。
まあ、それはさておき、歌を見ていきましょうか。
《契りおきし》。
「契る」は「約束する」でしたね。
「おく」は後に出てくる「露」の縁語ですね
《させもが露》 「させも」は前に出てきた my favorite verse「さしもしらじなもゆる思ひを」のあの「さしもぐさ」のことです。
つまり《させもが露》は[さしもぐさ(ヨモギ)におりた露]のことですな。
《あはれ》。
「ああ」という嘆声です。
《いぬめり》。
「いぬ」はナ変動詞の終止形、「めり」は推定の助動詞でしたね。
「行ってしまうようだ」
あなたが約束してくださった、 あのおことば
それが
させもぐさの上に置かれた露のようにはかないことばともしらず
私はそれを自分のもえる思ひをさます露のようにも思いながら
それを頼りに命をつないできましたが、
ああ、
その望みも露と消えて 今年の秋もむなしく過ぎていくようです
とまあ、つれない女にこがれる男の嘆き節のように訳してみましたが、詞書を見ると、全然そうじゃないらしい。
詞書。
僧都光格(そうず・かうかく)、維摩会(ゆいまゑ)の講師の請(こひ)を申しけるを、たびたびもれにければ、法性寺入道前太政大臣(ほつしやうじにふだうさきのだいじやうだいじん)恨み申しけるを、しめじが原と侍りけれど、またその年ももれにければ、遣はしける
僧都光格というのはこの人の息子なんだそうです。
でもって、維摩会というのは、毎年興福寺で開けれる維摩経を講義する法会で、その講師になるのはなかなかの名誉なことだったらしい。
しかしながら、息子の光格がたびたびその講師の選にもれるので、親父さんの基俊さんは、前の太政大臣藤原忠通(次の歌の作者)に泣きついたわけです。
親バカですな。
すると、忠通さんの方は「しめじが原」と言ったという。
これは、新古今集の
なほ頼め しめじが原の さしも草 われ世の中に あらむかぎりは
という歌を引いたということなんですな。
この歌の意味を書いておけば、
それでもやはり私を頼りにしなさい、 あなたがしめじが原のさしもぐさのように、胸をこがし悩んでいても私がこの世にある限りはあてになさっていいのですよ
歌は新古今集の巻二十の「釈教歌」というところに出てくるので、仏さまがこの世にある限りあなたを悩みを救ってくださるよってことを歌ったんでしょうが、なにしろ、前の太政大臣が「なほ頼め」と言ってくれたんですから、そりゃあ基俊さんだって期待しますわな。
「どんなつらいことがあっても、私のいる限り大丈夫だ!」
と言ってくれたんですもの。
ところがですな、その年も息子の光格さんは選にもれてしまったんですな。
というわけで、実はこの歌、その時の恨み節だったというわけです。
そう思って読むと、本来五音であるべき冒頭が、そこに恨みを含んで「契りおきし」という字余りになったような気がしてきますな。
約束は させもが露と はかなくて
今年の秋も ああ過ぎてゆく