わたの原 漕ぎ出でてみれば ひさかたの

 

   雲居にまがふ 沖つ白波

 

   法性寺入道前関白太政大臣

 

法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅどう・さきのかんぱくだじょうだいじん)。
肩書が長いですな。
藤原忠通(ふじわらのただみち)という人です。

この人、実は藤原氏の「氏の長者」の地位をめぐって父や弟と不和となり、それが皇位をめぐる上皇と天皇の争いと連動して、1156年に起きた保元の乱の原因を作った人です。
乱は、平清盛や頼朝の父親である源義朝が味方に付いた後白河天皇と忠通側の勝利となり、彼らが敵対した崇徳上皇(この次の歌の作者です)は讃岐(香川県)に流されて終わるのですが、この乱の結果、時代は貴族の時代から武士の時代へと大きく歯車を回すことになりました。

詞書に曰く、

新院、位におはしましし時、海上遠望といふことをよませ給ひけるによめる

(新院(つまり崇徳上皇)がまだ天皇でいらっしゃった時《海上遠望》という題で歌を詠むようにおっしゃられたので詠んだ)

というわけで、これはあの11番の歌を詠んだ小野篁さんとはちがって実際に彼が舟に乗って詠んだわけではない。
けれども、よい歌です。

 

ことばを見ていきましょう。
多くは一度出てきたことばですね。

 

《わたの原》。
《わた》は海のこと。
《わたの原》は大海原のことでしたね。
11番の歌は

わたの原八十島かけてこぎ出でぬと人には告げよ海人のつり舟

でした。

《ひさかたの》。
これは枕詞でしたね。
天とか、空とか、光とか、そしてここでは「雲居」にかかる。

33番の歌はこんなのでしたよ。

久方の光のどけき春の日にしづこころなく花の散るらむ

《雲居》。
「雲のいるところ」つまりは「空」です。
あるいは「雲」そのものをさす。

そして、もう一つ大事な意味がある。
なにしろ、雲のいるところは高く遠いですからね。
手の届かないほどの遠くの高みにあるものをさします。 というわけで、《雲居》には「宮中」という意味もあることも覚えておいてください。 (ここではそうではありませんが)

《まがふ》。
漢字で書けば「紛ふ」。
要は「紛らわしい」ということですね。

・入り乱れてはっきりしなくなる
・見まちがえ、聞きちがえるほどよく似ている

ってことです。

《沖つ白波》。
この《つ》は「・・・の」という意味でしたね。
12番の歌

天つ風雲のかよひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ

の「天つ風」で出てきましたね。
ですから、《沖つ白波》は「沖の白波」ですね。

大海原に舟を漕ぎ出すと
いつしか、もう海と空のほかに何も見えなくなる
そして、沖に目をやれば
どこまでが海なのか
そして
どこからが空なのか
その境さえさだかでない青一色(ひといろ)の世界
そこに白く光る
波、波、波、そして波
ああ、
まるで空に浮かぶ雲のような
そんな沖の白波

 

なんとも気持ちのよい叙景歌です。
おおらかで、心がせいせいする。
沖の白波は騒いでも、自分たちの船の周りの海は凪いでいる。
気持ちのいい船旅です。

 

もちろん、この歌を詠んだ時、自分たちとは何のかかわりもなさそうに遠くに見えた沖の白波が、いつか自分たちが乗っている「貴族社会」という船を呑みこむ大波になろうとは、忠通さんは思いもしなかったんでしょうが。

 

わたの原 漕ぎ出る船の 彼方には

 

雲かと見えて 沖の白波