長からむ 心も知らず 黒髪の

 

  みだれて今朝は ものをこそ思へ

 

    待賢門院堀河

 

待賢門院堀河(たいけんもんいんほりかわ)。

待賢門院というのは、崇徳院のところで書いた彼の母親璋子(たまこ)のことです。
堀河というのは彼女に仕えた人です。

 

詞書に曰く、

 

百首の歌奉りける時恋の心をよめる
恋の歌です。

 

《長からむ 心も知らず》。

あなたが私をずっと長く愛してくださるのかどうかもわからずに。

この「ず」は終止形の「ず」ではなく連用形の「ず」です。

 

《黒髪の》。
これは、「乱れ」あるいは「解け」にかかる枕詞と言われていますが、ここではそれ以上の働きをしているはずです。

これは単に「みだれ」を引き出すためのことばなのではなく、髪がほんとうに乱れていると思わせる。

そして、女の人の髪が乱れているのは、男と一夜を過ごした後の髪だからで、その印象がイメージとして読む者の心に残ります。
もしそうでなければ、この歌は何ほどのこともない歌になる。

《みだれて》。
心が乱れて。

これは先に書いたように「黒髪」もまた乱れており、なおかつ《心乱れて》「ものをこそ思へ」と、下にかかってゆく。

 

《今朝は》。
特別な「今朝」、です。
あるいは、「今朝」は特別、です。
つまり、「今朝」は、男と逢いそして別れた朝だからです。

 

《ものをこそ思へ》。
思い悩んでいる。

思い悩むのは、もちろん、男の「長からむ心も知らず」だからです。
夜、男は熱に浮かされたように愛を誓います。
けれども、朝になり男が帰っていくと、その誓いのことばや男のこころが、いかにも頼りなげに思われてくる。

そんな後朝のあとの不安な女のこころを、「こそ」と「思へ」の係り結びが強めている。

 

 

あなたはゆうべ私を愛してくださった
けれども、それはいつまで続くのでしょう
あなたが帰られた朝
ひとり残された部屋で
そのことを思うと
あなたに愛されみだれた今朝の髪のように
私のこころもまた思いみだれてしまうのです

 

艶にして、しかも度を越さぬ。
よい歌です。

しかし、この歌もいいが、「黒髪の乱れ」といえば、やっぱり、和泉式部のこの歌も忘れられない。

 

黒髪の 乱れも知らず うち伏せば まづ掻きやりし 人ぞ恋しき

 

髪のみだれも気にせず、ひとりベッドにうち伏し嘆く女人がいる。
かつてそのように嘆いたとき、まず、その髪を掻きなでては慰めてくれた恋人がいて、その人を恋しく思う・・・。

いいですなあ!

などと言いつつ、ここまで女の髪と女ごころの関わりは深いとわかっていながら、生徒が髪を切ってきてさえ、そのことにも微塵も気づかぬような男は、まあ、まるで女ごころを知らぬアホウでございますな。

 

 

 

夢の夜の 名残りの今朝の 黒髪の

 

   みだれて思う 恋の行く末