嘆けとて 月やは物を 思はする

 

  かこち顔なる わが涙かな

 

     西行法師

 

西行法師(さいぎょうほうし)。
俗名、佐藤義清(のりきよ)。
若いころは「北面の武士」(日本史で習います)として、鳥羽院に仕えていた。
平清盛とはそのころから友人だったという話もある。
彼は23歳で、妻子を捨てて出家した。
なぜ彼が出家したかについては諸説あって、それは絵巻にも描かれ、あるいはさまざまな小説などにそれらしくは出てくるのだが、本当のことはわからない。
たしかなことは、その後73歳で亡くなるまで、日本各地を旅し、折あるごとに心のままに歌を詠んだということだけだ。

願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月(もちづき)のころ

という歌が、先日君がやっていた問題集に出てきたが、そのとき話したように、彼は1190年の二月十六日、まさに「そのきさらぎの望月のころ」に亡くなった。
もちろん、たまたまそうなったのだと考えることもできようが、たとえば、彼の家集「山家集」にある

吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ

(花見にと入った吉野山をそのまま出ないでおこうと思っている私のことを、花が散ったら戻って来るだろうと人は待っているだろう)

という歌などを読むと、ひょっとしたら、身の衰えを感じた彼は、その日に合わせて、前もって静かに食を絶ちはじめ、自らの意思で、まさにその日に花の下で亡くなったのではなかろうかと私は思ったりもする。王朝の末期、既成の価値観のすべて覆ってゆく源平の争乱の時代にあって、世を厭い出家した彼にとって、死もまた厭うべきものではなかったろう。
もちろん、そんな彼も完全には世を捨て切れなかったからこそ、「山家集」という歌集が出来たのだが、そこに詠まれた抒情は、時代を突き抜けて、たとえば、芭蕉の「奥の細道」にまで、その余韻を残していることは、君も中学の時習ったはずだ。

歌を見ていきましょう。

《嘆けとて》。
「嘆け」と言って。

《月やは物を思はする》。
月が私に物を思わせるのだろうか、いやそうではない。
「や」は反語の係助詞。
だから、「する」と連体形で終わっていますよ。

《かこち顔なる》。
「かこつ」は「かこつける」ということです。
つまり、「他のもののせいにする」とか「口実にする」ということです。

 

ひとり月を見あげているとかなしくなる。
涙さえわいてくる。
ああ、
けれども、月が私に嘆けと言っているのだろうか
いいや、そんなことはありはしない!
そんなことはありはしないのに
月を見れば涙がわいてくる

私は知っているのだ 、
私をこんなにもかなしませるものがなんであるかを。
それはあなたとの思い出だ。

だが、それは言うまい 。
それは言っても せんのないことだ。
だから
今夜
私を泣かせるのは、
あの月のせいだと
あの月のせいだと そう思って、
私はひとり泣こう

アメリカの作家ヘミングウェイに
《 I Guess Everything Reminds You of Something》
「何を見ても何かを思い出す」
という短編集があります。
そこに集められた小説は必ずしもすぐれたものだとは思いませんでしたが、この短編集の題だけはすばらしいと思って読んだことがあります。

今年も3月11日がやって来て、人々は黙祷し、多くの人があの日を思い、涙を流しました。
あの日、自分の大切な人を失った人々にとって、この年月は、折あるごとに
Everything reminds me something.
の日々であったはずです。

西行のこの歌が、そういったことを歌ったのだとはけっして思いません。
けれども、人は海を見て泣き、空を見て泣き、雲を見て泣き、花を見て泣き、月を見て泣く。
もちろん、それらのものが私たちに「嘆け」と言っているわけではない。
私たちを泣かせるものの正体は私たちの心です。
涙はいつもその奥にしまわれている。
そんな心の鍵をあけ、涙する心を解き放つものは、五感を通して響くeverythingです。
杜甫は歌いました。

感時花濺涙    時に感じては花にも涙を濺ぎ
恨別鳥驚心    別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

と。

人が泣くとはそういうことであり、心というものは、そんなふうにできている。
そして、たぶん、それが人を人にしているのです。

 

この涙 流れるわけは 知ってるが

                     月のせいだと 今日はしておく