村雨(むらさめ)の 露もまだひぬ まきの葉に

 

  霧たちのぼる 秋の夕暮

 

                                       寂蓮法師

 

寂蓮法師(じゃくれんほうし)。

この人は、定家の父・俊成のお兄さんの子ども、つまり定家の従兄にあたる。
はじめ、俊成の養子となったが、定家が歌の力を見せ始めると、出家したという。
新古今の撰者になったがその完成を前に病没したそうです。

 

さて、歌。

 

 

《村雨》。
急にはげしく降るにわか雨のことです。

 

《まだひぬ》。
漢字で書けば「未だ干ぬ」ですね。
「まだ乾かない」ということです。

 

《まき》。
杉や檜(ひのき)などの常緑針葉樹のことを指します。
漢字で書けば「真木」「槙」。
よく見ればわかりますが、後者の漢字は前者の二字を、くっつけて一字にしたものですね。

 

さて、使われていることばがわかったところで、あなた、もう一度歌を読んでみて、その情景をイメージしてごらんなさい。

どんな感じかしら?
なんだか、この景色、色がないでしょ?

この歌には形容詞・形容動詞は一つも出てきませんね。
そのかわり名詞がたくさん並んでいる。
「村雨」「露」「まきの葉」「霧」「秋」「夕暮れ」。

ところがこれらのことばは、どれも、ことばの色合いというか、トーンというか、それがとてもよく似ている。 これらのことば、温度で言えば、ひんやりとしており、湿りを帯びている。
色で言えば、グレー、もしくは黒。
そんなことばが並んでいる。
ここに色の対照や変化はない。
あるのは、その濃淡だけです。
この景色、いわば墨の濃淡だけで描いた水墨画みたいだ。

 

「松林図屏風」という絵があります。
桃山時代の長谷川等伯という人が描いた水墨画です。
手もとにある日本史の資料集を広げてごらんなさい。
きっと載ってる。
日本の水墨画の最高傑作です。

 

六曲一双の屏風に白い霧が流れている。
そこに松がある。
松しかない。
左隻の奥には遠い山が見えるのだけれど、それも霧にかすんでぼんやり見えるだけだ。
手前の松は色濃く、奥の松は墨薄く、その根元は霧に隠れて見えない。
もちろん、絵だから動きはしないのだが、見ている者にはたしかにそこに霧が流れているのがわかる。
そして、その霧が次第に濃くなっていっていることも。

針葉樹の仲間ではあるけれど、松が「まき」のうちに入るのかどうかわからないし、たぶんは入らないんだろうけれど、この屏風に描かれた霧の中に立ち並ぶ松のようすは、寂蓮の歌の景色をイメージする一つの手掛かりにはなるだろうと思う。
ただし、歌はこの絵よりも、もう少し明るく、そして、さわやかな感じがするのですが。

日本人の中に連綿として受け継がれてきた美意識の一つに「幽玄」と呼ばれるものがあります。
その美意識は寂蓮の叔父であり養父でもあった藤原俊成によってとなえられたもので、寂蓮の歌は、まさにそれをことばの上に定着してみせたものだと言っていいのだと思う。
そして等伯の絵は、その後数百年にわたってつちかわれてきたその美意識の、一つの見事な結実です。

 

さて、もう一度、イメージしてみましょうか。

 

ひとしきり降った雨も通り過ぎた秋の午後です。
今はかすかに薄日もさしている。
夕暮れ近く、あなたは、ひとり、山あいの古刹(こさつ=古いお寺、ということですよ)に、湿った土を踏んでやって来たと想像なさい。

広い境内にはだあれもいない。
ただ、ヒノキやアスナロといった真木たちが参道に沿って立っているだけです。
雨に洗われたそれらの木々や山門や、あるいは堂宇はその姿をくっきりと見せ、名残りの夕照に木々の細い葉に残っている露が光っている。
あなたはしばらく歩みをとどめ、それらを眺め、またゆっくりと歩き出す。
けれども、ふと気が付けば、あたりに薄い霧が立ちそめています。
ああ、それはやがて万象を包み込んでいくのだろう、と、そんなことを思わせる夕霧。
さびしく、けれども、どこか艶めいた秋の夕暮れです。

 

どうです、わるくないでしょ。
この歌、墨色匂うやうな景色を歌って、体言止めの余韻深く、一字一句ゆるがない。

そんな歌に、テラの「なんちゃって反歌」なんて蛇足もいいところなのだけれど、とりあえず

 

まきの葉に 残る雨滴も かわかぬに

 

  はや流れ来る 秋の夕霧