小さなカトリーヌは姉さんです。
姉さんと云ふものは小さなお母さんです。
先廻りをします。
察しをつけます。

 

―アナトール・フランス 「昔がたり」(杉捷夫 訳)―

 

日曜日姉のところに行ったらテレビの横に白い顔のお猿さんの大きなぬいぐるみが置いてある。
となりにいる大きなキティちゃんは二か月前からある。

「お、新しいやつだね」
と言うと
「ううん、前からあったのを出してみただけ。
これ、ひろしの子どもの頃の顔にそっくりだと思ってずいぶん前に買ったやつ」
と言う。
そんなこと言われても、
「そういえば、そうだね」
などと、私に答えられるわけがない。
そもそも小さい頃、自分の顔を意識している子どもはいない。

それでも、姉にはおさなかったわたしの顔がそこに見えるらしい。
「こどものときのひろし、ほんとにかわいくてかたい子だったんだから」
そんなこと60過ぎたじいさんに言われても返答のしようもない。
返答のしようもないが、まあ、子どもというものはかわいいもんだから、私だってかわいかったんだろうし、姉の言うことをよく聞く「かたい子」だったんだろう。

おさなかった自分をかわいいい思い、そうだったことをずっと覚えてくれている人が父母以外にもいる。
姉とはそういうものらしい。
なにしろ昔から姉は「小さなお母さん」だったんだから。