「分娩にもっともふさわしくないのは、はやさなんだ。もちろん分娩にかぎらない。さっき君が開け閉めして、出て行った足音。それから障子の音――音とはなにか考えてみたことがあるかい」
よねは黙ってわずかに首を傾けた。
「音ははやさだ。はやさが音になるといっていもいい。障子をはやく閉める音ははやい。ゆっくり閉める音はゆっくりだ」

 

― 松家仁之 「光の犬」

 

ずいぶん夜が寒くなった。
寝ようと思ってホットカーペットを消す。
消すとき、かすかに心が動く。

ヤギコがもういないことにふと気づくからだ。
ヤギがいるうちは、彼女のために寒い夜はホットカーペットはつけっぱなしだった。

それだけの話なのだが。

 

 

松家仁之の新しく出た小説「光の犬」を半分ほど読む。

なんとまあ、よい小説だろう。
ひざかけをして椅子にすわって読むのにぴったりの小説だ。
しらずしらずどこかささくれていたこころがしずかになる。

松家仁之の小説にはハズレがない。
もったいないから、一気には読まない。
半分読んでしまったが、ほんとうは毎夜、一章ずつ読んでいくのが一番いい読み方だ。

引用したのは、助産婦になろうとしている娘に先生が言うことば。

妊婦のためにお湯を持ってくるように言われた娘に、、妊婦が帰ったあと
「きみはまったくだめだ」
と先生が言う。
そして
「なにがだめだかわかるかね」
ときいたあと、
「はやさだよ」
と言って、引用のことばが続く。
そして、先生は言う

「急ごうが急ぐまいが、結局かかる時間はニ秒と変わらない。だのに急いで開け閉めする。急いでると自己主張しているだけだ」

私もまた、そんな音をたて続けてきたにちがいない。
急いでいるふり。
忙しいふり。
そして、それは何かを生みだすことをどこかで阻害しつづけてきたのだろう。