その際著者は、代表的な憲法学の「立憲君主制」と「議会主義的君主制」を区別せずに「君臨すれども統治せず」を基本におく君主制をすべからく「立憲君主制」と呼んでいる。

 

ー 岩間陽子 4/8 毎日新聞 「立憲君主制の現在」(君塚直孝著)書評 ー

 

今日引用したことばの内容に、実は、深い意味は、まったく、ない。

ただ、私、イヤなのである。
上の文章にあるような「すべからく」。
せっかく、いいこと言ってるなあ、と読んできたのに、がっかりするのである。

だって、ヘンでしょ、これ。

え、ヘンじゃない?

 

あのですね、上の文章を書いた人は、その文脈から読み解くならば、どうやら、「すべからく」ということばを「すべて」の意味で使っているらしい.

でもね、言っておきます。

「すべからく」ということばには「すべて」の意味はない!

 

だいたい、「すべからく」なんてかたいことばを使いたがるのは、学者か、それに類する人、もしくは、自分をエラク見せたい政治家といった連中なんですが、その人たちの中に、どうも、音が似ているせいか、「すべからく」という語は「すべて」という語をカッコヨク言うことばなんだろうと誤解しておる御仁が多々おられる。
ひょっとすれば、誤用が五割を超えれば、それもそのうち正解となってしまうのかもしれないけれど、わたし、やっぱりイヤなんです。
だって、正しくないんだもの。

あのですね、「すべからく」ということばは漢文から来た言葉なんです。
それを漢字で書くと《全》とか《総》という字ではなく、《》。

これは、いわゆる「再読文字」と言われる文字で、こいつが出てくると
すべからくーーすべし
と読まなけあならない、と高校の教科書に書いてある。
意味は
ぜひとも――せねばならない
ってことですが、大事なことは、「すべからく」ときたら語尾は「~すべし」でおさめなければならないってことです。
「けっして」とくれば「~ない」でおさめ、「たぶん」ときたら「~だろう」でおさめるみたいなもんです。
「すべからく」ときたら「~すべし」。
ことばのきまりです。
まあ、現代風に「すべからく~しなければならない」でもいい。
でも、いくらなんでも、いくらなんでも、「すべからく」ときて「呼んでいる」はないでしょう。

 

「すべからく」はもともと「すべくあるらく」が「すべくあらく」となり、さらに縮まって「すべからく」となった。

「すべからく」の最後にくっついている「」は「~なこと(には)」という意味を表す接尾辞(?)です。

たとえば、「おもわ(思惑)」は、もともとは「思っていること」だし、「いわ」は「言うことには」だし、私らが試合前につぶやく
「おそらく今日も阪神は負けるね」
ということばの「おそら」だって、気持ち的に「恐れがあることには」という意味ですものね。
「老いらくの恋」なんてことばの「おいら」は「老いること=老年、老人」の意味ですな。

というわけで、「すべからく」は「為すべきことには」ってことばであって、「すべて」という意味はまったくないんです。

すくなくとも、私、エラソーな顔をして、この語を使いながら、最後「~すべし」で終わらない言い回しをする人を見ると、
「こいつ、教養ねえな」
と、舌打ちの一つもしたくなるんです。

というわけで、今日の訓示。

 

凱風舎の卒業生たるもの、「すべからく」という語を使うときには、すべからく「べし」を使うべし。

 

以上