裸足で薊(あざみ)を踏んづける!
その絶望への情熱がなくてはならないのである。
― 梶井基次郎 「闇の絵巻」―
今治にある刑務所の作業場から逃走し、三週間余人々の目を逃れて潜伏していた平尾龍磨氏が、今日広島市内で警官に取り押さえられたそうである。
警察の目をかいくぐって逃げ続けるこの平尾氏に、実はわたしはいっそ「爽やかな」とでも言いたいような讃嘆の念をひそかに抱いてきたのであったが、そのことをちゃんと書くだけの技量を今の私は持っていないので、代わりに冒頭の引用を含む梶井基次郎の「闇の絵巻」の書き出しを写してみる。
最近東京を騒がした有名な強盗が捕まって語ったところによると、彼は何も見えない闇の中でも、一本の棒さえあれば何里でも走ることができるという。
その棒を身体の前に突き出し突き出しして、畑でもなんでも盲滅法に走るのだそうである。
私はこの記事を新聞で読んだとき、そぞろに爽快な戦慄を禁じることができなかった。
闇!
そのなかではわれわれは何も見ることが出来ない。
より深い暗黒がいつも絶えない波動で刻々周囲に迫って来る。
こんななかでは思考することさえ出来ない。
何が在るかわからないところへ、どうして踏み込んでゆくことが出来よう。
勿論われわれは摺足(すりあし)でもしてして進むほかはないだろう。
しかしそれは苦渋や不安や恐怖の感情で一ぱいになった一歩だ。
その一歩を敢然と踏み出すためには、われわれは悪魔を呼ばなければならないだろう。
裸足で薊(あざみ)を踏んづける!
その絶望への情熱がなくてはならないのである。
ところで、警察車両に乗り込む時カメラがとらえた彼の顔は、きわめて凛々しいまっとうな顔をしているように思えたのは私のひいき目だろうか。
それとも、これは、近頃テレビで見る顔が、どれもこれも悪相ばかりだからなのだろうか。