十年はひと昔 暑い夏
おまつりはふた昔 セミの声
思わずよみがえる 夏の日
ああ今日はおまつり 空もあざやか
― 井上陽水 「夏まつり」 ―
日曜の朝、古典講読というラジオを聞いていたら、西行のこんな歌が朗読された。
吉野山ほきぢづたひに尋ね入りて花みし春はひと昔かも
「ほきぢ」の「ほき」は辞書を引くと「崖」という字を書くらしい。
したがって、「ほきぢ」は「崖路」、険しい山路ということであろう。
講義をされている大学の先生は、この歌についての考証的なお話をされていたが、私が心動いたのは、要は
花みし春は ひとむかしかも
という下の句で、思はず、コーヒー豆をガリガリやっている手が止まってしまった。
歌というものはすごいものだ。
西行の言う「ひと昔」が、一般に言われるように、あるいは井上陽水が歌っているように、「十年」を指すものかどうか、それは知らない。
またその「花」は紛れようもなく、桜の花にちがいないのだが、聞いている私に思い浮んだ「花」は桜の花でもなく,梅の花でもなく、「花」と呼ばれる何ものかであり、「ひと昔」もまた「十年」ではない。
にもかかわらず、
花みし春は ひとむかしかも
と聞くと、思はず「ああ」と思ってしまうのだ。
桜の花は毎年咲く。
おまつりもまた、毎年やって来る。
にもかかわらず、「ほきぢ」を尋ね入って見た《花》は特別だし、自転車のうしろに浴衣姿の妹を乗せていた夏祭りは特別だ。
ひとにはそんな「花」があり「まつり」がある。
同じ古典講読の時間に、上の句は失念したが、こんな下の句を持つ歌も紹介されていた。
思はぬ里に 年ぞ経にける
この町に30年住むなどと誰が思っただろうか。